トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 海洋神話と合意(コンセンサス)・正義より和 外交評論家 加瀬英明
外交評論家 加瀬英明 論集
日本神話は、海洋神話である。伊弉諾(いざなぎ)、伊弉冉(いざなみ)の二柱の男女神が、日本列島であるオノコロ島を産む話からはじまっている。磯凪―潮風と磯波が戯れているうちに恋におちた物語だ。
日本神話には漁業を生業とする火照命や、海の国や、海底の宮殿である海神宮が登場する。舟を並べて橋にしたとか、釣糸を授けたのに失ったなど、海を題材としている。サメや、フカを意味する和邇もでてくる。私たちが海の民であることを、証している。
日本神話は、天孫降臨の物語のように大陸の影響もみられるが、南洋の神話が原型となっている。日本民族は南方からきて、のちに大陸から多くの人々を迎え、進んだ文化を取り入れた。南の海洋民族が日本文化の基礎をつくったと、私は思う。
2005年に私は南太平洋に浮かぶフィジー諸島に、太平洋の島嶼諸国による会議の講師として招かれたことがあった。夏が老いることがない島国で、コバルト色の海が拡がり、清朗な空に白い雲が呼吸していた。
会議のテーマは、太平洋圏における民主主義だった。開会式で、フィジー共和国のラトゥ・ジョニ・マドライウィウィ副大統領が挨拶した。南国にふさわしく、スカートを履いた軍装の将校を従えていた。つぎが私の番だった。
「私はこの太平洋の美しい島国にお招きいただいて、夢をみたすことができました。故郷に戻ってきたように、感じます。
私は学生時代にフィジーについて書かれた本を読んで、日本とフィジーの2つの島国のあいだに、多くの共通点があることを発見して、フィジーに憧れてきました。
20世紀初頭にヴィティ・カバニ、あるいはフィジーに・カンパニーを率いて、立ち上がったアポロシの英雄的な生涯は、私たちが19世紀後半に西洋の列強によって強要された屈辱的な不平等条約を撤廃するために闘った体験と、二重映しになるものでした」
フィジーは映画の呼称だが、現地語ではヴィティだ。アポロシは西洋人による搾取に対抗して、イギリスの統治当局の弾圧に屈することなく、民族資本の会社を興して、フィジー人を熱狂させた。雄弁家でもあった。
「フィジーでは、キリスト教と伝統的な信仰を習合させました。日本でも大陸から仏教が伝来すると、固有な信仰である神道と混淆させました。私たちはいまだに、2千年以上にわたって祭祀王の役割を果たしてきた、天皇を戴いています。天皇は天と地を結ぶ仲介者として、秘儀を行います。天皇はフィジー語の『マナ』に当たる、超自然的な力をもっていると信じられています。
日本民族にはポリネシア・メラネシア・ミクロネシア諸族と、大陸諸族の二つの血が流れています。しかし、日本文化の深層には、大陸よりも、南太平洋のルーツが大きく横たわっています。皆様が日本を訪れられると、私たちの家屋や、神社建築が高床式であって、南太平洋の住居に酷似しているのに、驚かれることでしょう。日本の家屋はかならず外へ向かって、一方が大きく開いています。
私たちも海洋民族です。日本神話は南太平洋諸島と、大陸の神話が混ざったものです。日本民族は海洋の民として、大陸の民族よりも実利的で、開放的です。それに対して大陸の人々は、ことさらに教理(ドグマ)や、論理(ロジック)を重んじます。私たちは、皆様も親族(キンドレッド)です。
私たちは南太平洋の人々と、共通した民族性を分かち合っています。私たちは物事を決定するにあたって、合意(コンセンサス)を重視します。日本は歴史を通じて、一度も専制が行われたことがありません。決定はつねに合意によって、もたらされます。
日本語の語彙には、19世紀後半に入って、西洋世界へ向かって門戸を開くまでは、『指導者(リーダー)』という言葉も、『独裁者(ディクテイター)』という言葉も存在しませんでした。
私たちのこのような民主的な伝統は、南太平洋の祖先から受け継いだものです。私たちは大陸の人々と違って合意を尊び、絶対主義を恐れてきました。私たちは真理の追求に、強い関心をいだきませんでした。しばしば真理を装って、人々や、異なった考え方を抑圧することが起ります。島の民は実利的です。私たちは正義よりも、和を重んじます。正義も、真理と同じように、残酷な振る舞いをもたらしやすいものです。
日本は、経済が発達したいわゆる先進国のなかで、精霊信仰(アニミズム)か、多神教を信仰している、たった1つの国です。フィジー人はキリスト教が伝来すると、土着の信仰と習合させ、エホバとイエス・キリストが、双兒(ふたご)の神であるナ・ジリであると、解釈しました。日本でも仏教の神々が神道の神々になりました。
島の民は、自由な精神を持っています。大陸では自己中心的で、傲慢な態度が幅をきかせていますが、島の民は海の水平線の彼方から、見たことがない宝がもたらされることに憧れます。海原は宝を運んできます。異国の物や、考えを拒むことはありません。島の民は自己が絶対的に正しいと、思いあがることもありません。沖から吹くやさしい潮風は、和やかな精神を培います」
日本の寺院の建築様式は中国の影響を蒙っているものの、神社建築は原型が古墳時代に遡るもので、屋上で交叉する千木や、高床式であるところが、南洋の住居とよく似ている。
(徳の国富論 第6章 「指導者」や「独裁者」がなかった日本語)
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