トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 「神謀る」合議制と「かな」が生んだ美意識 外交評論家 加瀬英明
外交評論家 加瀬英明 論集
日本では、つねに合議制が行われた。日本神話では、神も「神謀る」といって、神々が相談して物事を決めている。江戸幕府では3人から5人いた老中が、合議して決定した。
私は『ブリタニカ百科事典』(大英百科事典)の最初の外国語版となった『ブリニカ国際百科事典』(TBSブリタニカ刊)の初代編集長をつとめた。編纂するに当たって、数百人にのぼる学者の協力をえた。
著名な国語学者と会食した時に、「江戸時代までリーダーにもっとも近い言葉は、何だったでしょうか」と、質問した。すると、考えた後に、「重立ち衆、頭領、頭目でもないですなあ」という自信のない答が戻ってきた。
アメリカの政権では閣僚からはじまって、政治任用職は800人以上にのぼるが、全員が大統領の人格の延長だと考えられている。ヨーロッパにおいても、同じことだ。ヒトラーのドイツにおいても、スターリンのソ連においてもそうだった。中国、韓国、北朝鮮でも、頂点に立つ権力者の意志が抗し難い力を持っている。
日本では閣僚も、首相の人格の延長ではない。大戦中の東条首相でさえ、独裁者ではなかった。
私は『源氏物語』や川端文学の訳者であり、アメリカの日本文学研究の大家だったエドワード・サイデンステッカー教授と親しかったが、日本語で口癖のように「私は指導者という日本語が大嫌いです」といった。もともと、日本語にはなかったのだ。
古代から日本の岸を、大陸の先進文化が洗ってきた。先人たちは大陸文化を貪欲に摂取したが、取捨選択をした。
儒教だけではない。科挙も奈良時代の短い期間を除けば、模倣しなかった。宦官の悪習も、中国の食人習慣も見習わなかった。李氏朝鮮には日韓併合まで、宮廷に内侍(ネイシ)と呼ばれた宦官がいた。李朝は毎年、中国へ宦官と妓生(キーセン)を献上していた。
日本において識字率が高かったのは、中国や、朝鮮半島と違って、早くから独自の表音文字である「かな」を、国字として持つようになったためである。かなは日本最古の古典である万葉集が編まれたあいだに、成立した。万葉集は奈良時代の天平宝字3(759)年までの歌を、収めている。
日本民族がかなを持つことがなかったら、私たちの独特な美意識が生まれることがなかったろう。歴史の長い時期に、かなをつくりだしたのは、はかりしれない大きな恩恵をもたらした。
漢字や、古代バビロニアの楔形文字、エジプトの聖刻文字などの表意文字はむずかしかったので、支配階級が独占した。そのために表意文字をもった文明は、衰退した。それに対して、アルファベットや「かな」のような易しい表音文字をもった民族は、庶民に読み書きが普及した。日本は「かな」を生むことによって、漢字の毒を薄めることができた。
中国や、朝鮮では、漢字は庶民と縁がなかった。支配階級のものであって、政治や、文芸や、科挙のための道具となった。中国と朝鮮では庶民のほとんどが、日本と違って文盲だった。
朝鮮はハングルという国字を、室町時代に当たる15世紀につくった。音素を単位として、組み合わせる音節文字である。ハングルは文字を知らない者に漢字の代用をさせるものであって、諺分(おんもん)と呼ばれた。「諺」は卑俗という意味である。
両班(ヤンバン)階級の男たちは、ハングルを無教養な女子どもの字として蔑んだから、李朝が終わるまで漢文しか使わなかった。私はアメリカ西部を訪れた時に、インディアンのチェロキー族が音節文字を持っていたことを知って、韓国を親しく思う者として好意をおぼえた。
日本は幸いにも、大陸から海によって隔てられ、一定の距離を保つことができたのをはじめとして、多くの好運に恵まれた。そのなかには、中国や、朝鮮が中央集権制度をとっていたのと違って、多くの藩に分かれていたことがある。
(徳の国富論 第6章 「指導者」や「独裁者」がなかった日本語)
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