トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 日露戦争に勝っても「日本は滅びる」と見ていた夏目漱石 外交評論家 加瀬英明
外交評論家 加瀬英明 論集
日本がようやく一流国の仲間入りができたのは、日露戦争に勝ったためだった。
20世紀初頭までは、全世界が白人の覇権のもとにあり、アジアでは日本を除けば、シャムと呼ばれていたタイだけが、かろうじて独立を保っていた。中国は清朝が統治能力を失っていたために、列強が食い荒して、半植民地状態にあった。
日本は「露西亜」と漢字で書かれていたロシアとの日露戦争は、明治37(1904)年に始まった。明治元年に近代化に踏み切ってから、37年にみたなかった。
日本は大きな犠牲を払ったが、その翌年に勝った。
ロシアは世界で最大の帝国だった。国土が日本の55倍、人口がほぼ3倍、国家収入が8倍、外貨保有高が10倍というように、桁違いの差があった。
ロシアは軍事力でも圧倒していた。常備兵力は、日本の20万人に対して300万人で、15倍のひらきがあった。海軍は日本の合計排水量26万トンに対して60万トンで、大きく上回っていた。
そのロシアを打ち負かして、日本は一流国に伍するという、明治の開国以来の夢を果たした。幕末から欧米列強が強いた、屈辱的な不平等条約に苦しんできたが、その最後の不平等条約を改正できたのは、日露戦争後のことだった。
日露戦争というと、私は夏目漱石の『三四郎』の1節を思い出す。
この作品は、主人公の三四郎が東京帝国大学に合格して、上京する車内の場面から始まっている。
水蜜桃を好む中年男に出会うが、「いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね」というので、三四郎が「しかし、これから日本もだんだん発展するでしよう」と答える。すると、男がすまして一言だけ、「滅びるね」といった。
漱石は直感力に富んでいた。世界の一等国となることこそ、日本国民の夢であった。その見果てぬ夢が、実現したのだった。『三四郎』のなかでは、それ以上説明していないが、日露戦争に勝って一等国に伍して傲るようになったために、西洋化がいっそう進むことになると考えて、暗然としたのだった。
今日、漱石と女流作家の樋口一葉の肖像が、それぞれ千円札と五千円札に用いられている。一葉は20世紀が到来する4年前の明治29年に、25歳の短い薄幸な生涯を閉じた。一葉はその前年に、日記にこう記している。
「わが国の有りさま、(略)あわれ外つ国の花やかなるをしたひ、我が国振りのふるきを厭いて、うかれうかるゝ仇ごゝろは、(略)流れゆく水の塵芥をのせてはしるが如く、何処をはとゞまる處をしらず」
外つ国は西洋、仇ごころは実がなく移りやすい心だ。一葉はわが国の古い国振りを嫌って、西洋に心酔してうかれる様を、塵芥が積もるように止まないと嘆いた。
一葉が他界してから100年余りが過ぎた。一葉は日本の惨状をどう思っているのだろうか。五千円札を手にする時に、一葉の声を思い出してほしいと思う。
(9章 大切なものは目に見えない)
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