トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 超高層ビルは巨大な昆虫籠外交評論家 加瀬英明
外交評論家 加瀬英明 論集
明治の日本人は、精神性が高かった。日本が明治に入って、このように急速な発展を遂げることができたのは、成熟期としての江戸時代の精神が受け継がれたからだった。
一方で明治は、「近代化」と呼ばれた西洋化の高波が、奔流のような勢いをもって、日本をつくり変えた時代でもあった。
この奔流は、今でも続いている。私たちのまわりから、日本らしさが年を追うごとに、失われていっている。
私たちは、明治の初年から日本の独立を全うする手段として、国家目標として欧化に努めてきた。「和魂洋才」を掛け声にしたはずだったのに、そうするうちに、私たちの心が蝕まれていった。
西洋をそのまま持ってくることができれば、まだ、よかったかもしれないが、西洋を全体そっくり輸入できるはずがなかった。
そこで、部品のようにばらばらに分解して、そのつど、欲しい部分を取り入れた。今日の日本はそういった部品の廃棄物の、巨大な捨て場となっている。一葉が憂えたように塵芥のなかに住んでいるようなものだ。
明治元年から140年あまりがたつが、このあいだに日本の景観も、日本人の人相も、大きく変わった。幕末から多くの肖像写真が残っているが、日本人は先の大戦後しばらくまでは、引き締まった、秀麗な顔をしていた。
私は都心に住んでいるがわが家がある横丁の5、6軒の前に、いつも鉢植えが置かれている。朝顔や五月など、季節ごとの花がある。こうした花を、長屋の前の道端に並べるのが、江戸の庶民の習慣だった。このようなことは、外国では見られない。江戸の名残だが、心を和ませる。
東京の景観は索莫として、醜くなってしまった。
近年、六本木の旧防衛庁跡地に「東京ミッドタウン」が出現した。
地上54階のその高層ビルをはじめとして、あたりには背の高いビルが並んでいる。
「東京ミッドタウン」のホームページをみると、「緑豊かな都心に流れる、上質な日常。デザインとアートに彩られた東京ミッドタウンへ、ようこそ」という言葉によって迎えられる。
いったい、「上質な日常」が何を意味しているか、私には理解できないが、「エリア」「システム」「オープンスペース」「コミュニティ」「コジェネレーション」「エコロジー」「グリーン」といったカタカナ英語が、びっしりと並んでいる。
ホームページで「やさしさ」と「安らぎ」の「至福の時間」を過ごせると約束しているのに、私が過剰な期待感に胸を膨らませて訪れて、そのような体験を味わうことができなかった場合には、きっと対人不信に嘖まれることになるだろう。そう思うと、足が遠のく。
私は「六本木ヒルズ」には、何回か、足を運んだ。そこのホテルで講演したり、51階にあるクラブに入れて貰ったので、はじめのうちは物珍しさが手伝って、友人を誘って訪れた。
だが、私は率直にいって、30階とか40階といった高僧ビルを好まない。人間には、身丈に合ったスケールがあると思う。
高層ビルは、巨大な昆虫籠に小さな虫が群がっているところを連想させる。そのうえ巨大ビルは、資本の論理があまりにもあからさまなので、経済システムのなかに取り込まれたような圧迫感にとらわれて、息苦しくなる。
それに、そのような場所へゆくと、先のホームページにカタカナ英語がいっぱい使われているように、生活実感が乏しくて、まるで劇場のなかに身を置いたように感じられるものだ。レストランでも、ロビーでも、どこでも、「いたるところにアートが息づき」(前出・ホームページ)という内装によって囲まれると、自分がいったい何者なのか、分からなくなってしまう。せっかく祖父母や親から受け継いだ精神の流れが、断たれてしまう。
平成9年に、神戸で(酒鬼薔薇聖斗)と名乗る中学生が極悪な犯罪をおかして、全国を震駭させたことがあった。あの少年は新聞社に犯行声明文を送って「透明な存在のボク」と、書いた。
「東京ミッドタウン」や、「新丸ビル」は、どの土地にも属していない、空中に浮遊する楼閣のようなものだ。「至福な時間」を過ごしている若者たちは、きっと根を失って、「透明な存在のボクや、アタシ」になっているにちがいない。
私は「東京ミッドタウン」の建設中に、その前を何回か通った。巨大な土木機械が唸り声をあげていたが、開発という美名のもとに、伝統文化を壊しているのだと思って、心が締めつけられた。
私たちは欧化に憧れすぎたのだろうか。私が少年だったころは、まだ「上等舶来」という言葉を、よく聞いたものだった。
都会の騒音はいうまでもないが、エレベーターに乗っても、レストラン、食堂でも、無惨に細切れにされたBGMという音楽―バックグラウンド・ミュージックが鳴っている。きっと、物事を何でも細切れにしないと気がすまない現代人に、適っているのだろうが、BGMも都会の典型的な雑音であって、いらだたしい。
私の幼い日の記憶といえば、下駄の歯が道を打つ音、包丁と俎板が奏でる音、豆腐屋のラッパや、竹竿売りの物憂い声、草叢の虫の声、梢を渡ってゆく風の音といったものだった。そのような音によって、心が癒された。
いま、私たちの生活の形が、急速に壊されていっている。
あのころでは都会で育っても、人や、自然が発する音によって囲まれていた。いまでは自動車や、スピーカーなどの機械が発する音によって、間断なく悩まされる。人までが、機械の延長になったようだ。
雑音が生活を濃密に支配している。静寂の中で、己に帰る時をもてない。このために、心休まる間がない生活を送っている。
(9章 大切なものは目に見えない)
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