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外交評論家 加瀬英明 論集
明治の日本人は精神性が高かった。直近の祖先にあたる日本人の徳性が、きわめて高かったからだった。
私が明治の精神について教えられた本のなかに、旅順攻囲戦に従軍した外国人記者による『乃木』(東京、文興院、大正十三年)がある。著者のスタンレー・ウォッシュバーンは、アメリカの『シカゴ・ニュース』紙特派員だった。
乃木希典大将は征戦中に、外国の従軍記者としばしば会った。
「吾々に言葉を懸ける時は、将軍は常に柔和な、慇懃な、そして円満な微笑を両目に浮かべた。しかし一旦幕僚や伝令士官に命令を公附するとなると、双の瞳孔は収縮して、鋼鉄色の二点と化してしまひ、其顔色亦一見して何の個性も感情も無き、単なる戦争の機関としての相貌を現ずる。復た翻って吾々に對すると、(略)全然別個の人物となって来る」
「将軍は、士卒に對しても、常に親切温和であったが、しかし如何なる場合にも狎れることは無かった。
彼等に對する将軍の言葉は、常に簡潔であった。彼等は言下に将軍の命を實行した。部下に一瞬の猶豫でもあると、燻煙の閃きのやうに鋭い眼が光る。部下は血潮を波立たせ、突っ立ち上がるのであった。
今し死を宣言する時、眦が裂けたかと思うと、忽ち平靜に帰って、泰平の逸民たる外、何の考えも無いといふような眼を持った人は、他に見たことも聞いたことも無い」
旅順が陥落したあとで、「幕僚が皆祝賀會に耽っていると、いつの間にか将軍の姿が見えない。もう退席せられたのであった。行って見ると、小舎の中の薄暗いランプの前に、獨り顔を覆って腰掛けて居られた。将軍の双頬には涙が見えた。私を見られるとかう言われた。今は喜んで居る時ではない。あの様に大きな犠牲を拂ったではないか」(目黒野鳥訳)
ウォッシュバーン記者は旅順攻囲戦中に、東京の乃木邸に静子夫人をたずねた。
すると、夫人が「主人が出發の別れに、戦争が首尾よく終わるまでは、自分は死んだものと思へ。其時までは音信を住まい爲るな、音信も爲まい」といったと、書いている。
幣原喜重郎は、戦後、首相をつとめたが、『乃木』に序文を寄せ、「近年、本邦に於て、妄りに外来の新思想に惑溺する者ある」と、警告している。
皇太子殿下が平成十六年にヨ―ロッパへ御公務として、お1人で妃殿下を残されて旅立たれる前に、記者会見の席上で「後ろ髪を引かれる思い」でお出かけになられる。と述べられた。明治から百年以上の時を隔つようになって、時代精神が変わってしまった。
大正時代は、日本が第1次世界大戦に本格的に参戦することがなかったから、日本にとってこの国際環境は穏やかなものだった。
日本は日露戦争によって疲弊したが、第1次大戦によって未曾有の景気に湧いた。交戦国からの軍需品や、ヨーロッパからの輸入が途絶えた、アジア・アフリカから注文が殺到したためである。
大正時代に、今日の経済大国となる基礎が築かれた。大正の日本は、今日の日本社会の雛型となった。
江戸時代の江戸や大坂も、庶民が元気な大衆社会だった。だが、大正時代に外来型の大衆文化が誕生した。大正時代を表わす言葉といえば、株ブーム、野球熱、宝塚歌劇、大学の増設と受験戦争、美容院、映画、女権、私鉄と住宅地の開発、軽便な文化住宅、文化包丁、文化鍋、文化マッチ、文化人といったものだ。「文化」が軽便という意味で、さかんに使われた。
大正は日本人の精神が、西洋化に犯された時代だった。
私は、ある年の桜の季節に、山口県岩国市の錦帯橋から、地元の友人に案内されて、花見をしたことがあった。その日は、四月十四日だった。
偶然だったが、潜水艇の佐久間勉艇長が、十三人の部下の乗組員と明治四十三(一九一〇)年のこの日に、花見を楽しんでいた。その翌日、佐久間艇長と乗組員が乗った艦は、潜航訓練中に沈み、全員が殉職した。
私はイギルスの海軍大学生が、日本に卒業研修旅行にくると、大使館に招かれて講和をすることがあった。そのおり、イギリス大使館の海運武官がその記念日の四月十五日に、呉で催される慰霊祭に参列するといったので、前日だということを知っていたのだった。
錦帯橋は当時の姿のまま建っていたが、日本人が変わったという感慨にとらわれた。
佐久間艇長の六号潜水艇は明治四十(一九〇七)年に、初の国産艇として建造された。事故後に艇内を調べると、艇長は酸素が尽きるまで、艇の状況について報告する文章を綴っていた。部下は全員が持ち場で、絶命していた。息絶えるまで職務に精励していた。漱石が『三四郎』を発表した、前年のことだった。
幕末から明治にかけて、綺羅星のような無数の逸材を、日本は生んだ。
日本で初めて国勢調査が行われたのは明治五年だったが、人口は三千万人だった。人口は徳川期中期から、ほぼ変わらなかった。
今日、日本の人口は一億二千万人を超えて、四倍になっている。それだったら四倍の逸材がいなければならないが、百分に一も、千分の一もいまい。
『三四郎』を読み返すと、「滅びるね」という台詞が、胸を締め付ける
「徳の国富論」 十章 親を粗末にする者は国や人を愛せない
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