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外交評論家 加瀬英明 論集
資本主義は、化学技術の眩しく輝くような翼に乗って、人類に未曾有の物質的な豊かさをもたらした。しかし、そのために、かえって人間を貧しくした。
豊かさは人が経済的に自立することを可能にした結果として、人縁や、地縁を弱めた。社会を細分化して、人をバラバラの孤独な存在にした。
物質的に豊かな社会では、人が幸福になろうとしたら、かならず不幸になる。身のまわりには、つまらない製品が溢れており、いくら新しい製品を買っても、満足感はきわめて短いものでしかないからだ。ゴールを目指して息を切らせて走ったのに、ゴールに着いたと思うと、ゴールをさらに遠くへ動かす、終わりのないゲームに似ている。
クレジットカードや、ローンには、人を不幸にする魔力がこもっている。人は自分が人生でいったい何が欲しいのか、分からないのでいつも苛立っており、神経を宥めるために、つまらない製品をつぎつぎと求める。
関心がいつも細分化され、刹那的な生活を送っているので、喜びや、悲しみを味わう時間的な余裕がない。体験を精神的な血肉にするためには、時間が必要だ。
見た目だけは豊かになったというのに、人は不平不満によって、いっそう嘖まされるようになっている。もっとも、人間はいつも苦情をこぼしている唯一の生物である。きっと人間は、猛獣や洪水などの危険から逃れるために、いつも神経をとがらせておく必要があったので、不安に駆られてきたにちがいない。
私にしても、赤提燈に寄って、親しい友だちと愚痴をこぼしながら浅酌するたびに、遺伝子のなかに組み込まれた不平不満を楽しむ本性が疼くものだ。
マルクスは百二十六年前に没したが、十九世紀のイギリスの階級について、ブルジョアの平均寿命が三十五歳と高いのに対して、労働者が短命であることに憤っていた。
だが、日本では生活環境が整い、医療が発達したために、多くの男女が八十か、九十歳まで生きられるようになった。
しかも、これほどまでに、物や健康に恵まれた時代の到来は、史上初めてだろう。にもかかわらず、人々は不満や、ストレスを昂じさせている。自己本位な競争社会が生活の原理となったために、人が情操をかいて、獰猛になった。人が利己的になった。強調する心が疎かにされてしまった。 貧しかった時代には、扶け合わないと生きられなかったので、利他的にならざるをえなかった。人と人とのあいだの絆は、多分に経済的な環境によってつくられる。物質を心よりも大切にする社会は、人を卑しくする。
文部科学省が子どもの「個性」を伸ばす教育に力を入れているが、競争社会を生き抜くことだけしかできない、器量が狭い人を育成しているとしか思えない。だったら「個性」ではなく「孤性」と書くべきだ。
江戸期には、寺子屋でも藩校でも塾でも、個性を伸ばす教育など行なわなかったが、明治の近代日本を築いた人々は、みな優れた個性に溢れていた。心を磨かせたからである。
一人で食事を摂る子供が多いために、「個食」という言葉があるという。「個」という言葉がまるで望ましいものであるように、さかんに用いられているが、個食とか、個人主義は、「孤」の字を使うべきだろう。
いまの日本は、個人の意志の力よりも、感情を大切にするようになっている。かつて意志が尊ばれたのに、感情が大事にされている。感情は意志と違って、軟体動物のように捉えどころがない。
二十世紀に入ってから、しだいに個人の力が評価されないようになった。共産主義や、ナチズムが社会を支配するようになってから、人が集団のなかに組み込まれた一人として、意識されるようになった。このような仕組みが今日の福祉国家によって、引き継がれている。
自助といっても、いまの人は内にそれだけの力を秘めていない。自ら運命を切り拓かねばならないのに、すぐに挫折する。自分を無力な社会の犠牲者として、自己憐憫するようになった。
高齢者が粗末にされて、老人に敬意が払われなくなった。古いものは役にたたないという考えが、横行している。古老も「孤老」と呼ぶべきだ。
病んだ親の面倒をみなければならないというと、「何と不幸なことか」と同情される。まるで妖怪の会話のようだ。公的機関が親の世話をすることが、高度福祉社会というらしいが、「福」の字を使うことはやめてほしい。
親に育てられたからこそ、今日の自分がある。どのような素質があっても、親が養育を手放したら、ひとりで生き続けることはできない。その根本的な恩愛だけは忘れてはなるまい。親を粗末にするものが、国や、人類を愛することができるはずがない。
市場競争経済社会は、人々を惨めにする。分かち合えない満足は、その場かぎりのものにしかすぎない。
「徳の国富論」 十章 親を粗末にする者は国や人を愛せない
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