トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 捨てられた言葉が持っていた価値
外交評論家 加瀬英明 論集
今日、日本の音楽の九十五%以上が、洋楽になったといわれる。明治以後、日本は急いで、“近代国家”となるために、学校教育の場に洋楽を取り入れた。
私は学校唱歌を耳にするたびに、なつかしさよりも、先人たちが西洋の帝国主義の脅威から身を守るために、国民に洋才教育を施さねばならなかったことを思って、心が疼く。
日本には明治に入るまで近代的な軍隊がなかったら、日本人は隊伍を組んで行進することができなかった。そこで西洋式の精強な軍隊を創るために、フランスから招いた軍事顧問団の勧告をいれて、児童に洋楽を教えた。日本軍は先の大戦に敗退するまで、分裂行進が下手だった。
人がまともに生きるためには、静寂が必要だ。日本の着物は、静かな姿が美しい。おのずから振る舞いが、優雅になる。せわしく動くと、乱れる。
労働者である洋服と較べると、日本が手の文化であるのに対して、西洋は足の文化だとわかる。手は頭脳の延長だ。このようなところにも、日本人の精神性が現われている。
ホリエモンとして知られた若手経営者が逮捕されたが、一時期、時代の寵児としてもてはやされ、日本を象徴する顔となった。だが、失墜も早かった。
今日の寵児は使い捨てにされるから、生命が短い。人々が落ち着きなく、つねに気を散らされているので、同じことに長く関心を向けることができないからだ。何であれ、永続性がないから、神聖なものがなくなった。
欲望は抑えるべきではなく、充たすべきものだ。だから、借金することは、恥しいことではない。飽くことない物欲こそが、社会を豊かにして、向上させると考えられている。
自分を大事にしすぎるから、傷つきやすくて脆い。何ごとについても不満をいだくことが、人間的だとみなされ、自分を批判するかわりに、社会や他者を、口をきわめて非難する。
時代とともに、新しい言葉も造られてきた。
明治初期に「愛国」「義務」「個人」「恋愛」などの夥しい数の翻訳語が、新語のなかに加わった。対米戦争の前夜には、国民が奮起した時代を反映して、「決意」「献身」をはじめとする新語が造られた。
先の大戦に敗れたために、「忠君」「報国」「出征」「日本男子」から「日本晴れ」まで、多くの日本語が、勇士たちとともに戦没した。
そして戦後六十余年、生活の形が変わるなかで、大量の言葉が捨てられた。「父上」「母上」「孝行」「一家」などが、その例である。徳富蘆花の『思出の記』に、新婚夫婦が話し合って「家憲」を定める場面がでてくるが、いまの夫婦にそのような責任感があるだろうか。
「孝行」とともに、「恩」という言葉が廃語になった。「家」も家屋しか意味しないから、犬小屋のようなものだ。
「駆け落ち」という言葉もなくなった。それだけ、恋がつまらないものになった。恋人たちが家のしがらみから脱して、思いを遂げるために出奔する、真剣な行為だった。
「苦学」も、死語になった。苦学生がいなくなった。コンビニでも、スナックでも、どこでも稼げる。ついこのあいだまで、人生は苦の連続だった。少しでも楽しいことがあれば喜んだのに、いまでは人生は楽の連続であるべきだと、考えられている。そのために、挫けやすい。
同じ言葉でも、意味が変わった。ローンとクレジットは借金なのに、恥ずかしいことではない。御飯ではなく「ライス」なら食べ残して、捨ててもよい。「性」だと重いが、「セックス」といえば軽くなる。カタカナにすると、言葉にこめられてきた責任感がなくなるのだ。親は「パパ」「ママ」と、まるでペットのポチとか、ぺぺのような名で呼ばれるようになって、権威を失った。
「徳の国富論」 十章 親を粗末にする者は国や人を愛せない
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