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外交評論家 加瀬英明 論集
そういえば、共産主義を考えだしたマルクスは、マルサスよりも半世紀あとに生まれたが、資本家階級がどんどん富んでゆくのと反比例して、労働者階級がどんどん貧しくなってゆくと予見した。そして労働者階級が我慢できなくなって改革がおこり、資本家が一掃され、労働者による共産理想社会が実現すると説いた。
しかし、マルクスも未来を見透せなかった。その後、科学技術の発達によって、労働者が急速に豊かになったために、改革はロシアや中国のような貧しい、遅れた国でしか、起こらなかった。先進国の労働者は、物が溢れた社会を楽しむ貧欲な消費者に化してしまい、マルクスが生きた時代のような労働者は、一人もいなくなってしまった。
マルサスに話を戻せば、今日の食糧危機はマルサスが考えていたものと、大きく違っている。
マルサスは人間の口の数が増えていくと、食糧生産が追いつかなくなると、考えた。マルサスは今日の小さなコンビ二にさえも、おびただしい種類の食品が溢れていることを、想像することができなかった。
ルーズベルト大統領といえば、日本に戦争を仕掛けた敵国の指導者であるが、一九三二年の大統領選挙で初当選した。この時の共和党のウェンデル・ウィルキ―候補は「ア・チキン・イン・エブリ―・ポット」(誰でも鶏が食べられる生活)を公約に揚げたが、負けてしまった。この公約は当時の大多数のアメリカの国民にとって、鶏肉が高嶺の花だったことを示している。
マルサスが読み誤ったのは、人の口と胃袋が固定されており、人の食欲がつねに同じ水準に留まるという前提を設けたことだった。いまの豊かな社会の消費者は、生きるために食べるよりも、楽しむために食べ散らかすようになっている。
その明らかな証拠が、食べすぎの「メタボ」現象である。豊かな社会の住人の胃袋は、ゴム風船のように膨らむのだ。ジャンクフードと呼ばれる商品が店頭にあふれ、摂取カロリーは増えるばかりだ。
今日の庶民は必要のない物を手当たりしだい買い求め、飽きたら何であれ、押し入れに放り込む。だが、食品になるとそうはゆかない。食べ過ぎる結果として、余計な食物が胴回りの脂肪の分厚い層になる。生活習慣病という成人病が若年層にまでひろがり、国が病んでいく。
味覚の満足のために肉はおいしいが。問題が多い。牛肉1キロを生産するためには、十一キロの穀物資料を必要とする。牛や、豚や、鶏にも、大量の穀物を与えなければならない。だったら、トウモロコシや、小麦や、大豆をそのまま食べればよいのだが、理屈どおりに庶民も動かない。マルサスは、牛乳や、豚や、鶏や、魚の口までは計算に入れていなかった。
食品が、顧客の健康を二の次の大企業があつかう商品になり、安価になったことも、食糧の途方もない浪費をもたらしている。
養殖の鮭などの肉食魚は、鯉のような草食魚とちがって、魚や、魚油を飼料として与える。肉食魚は牛や、豚や、鶏肉と同じような、無駄を生みだしている。
食品までも工業化の波がおおい、工場のベルトコンベアの波にのって、次々と新商品が吐き出される。
しかし、安価な食品は人手がかかってないから、どうしても不味い。生命あるトマトや、ブロイラーでさえ、工場と変わらない手法で生産され、本来備わっているべき味わいがない。単価は高くなるが、昔ながらの農家が丹精こめて栽培した物のほうが、味がよく栄養価も高い。手作の野菜には、魂がこもっている。
とはいえ、豊かさが増してゆく発展途上国でも、私達と同じような食習慣に変わりつつある。
先進国では食が神聖なものではなく、享楽の道具となったため、食べ残しが大量に捨てられている。日本では、胃袋に入るのと同量の食品が、廃棄されている。
国連統計によれば、二〇〇八年の世界の穀物生産量は減っていない。一昨年よりも、五%も増加している。不健康で罰当りな食生活をやめれば、食糧はまだ充分に存在している。
食事を感謝して摂ることによって、生命を尊ぶことができる。生かされていることを知ることが、徳を生む。まず、日本人が食を大切にする生活をとりもどすことによって、世界に手本を示したい。心身の健康のためにも、魂がこもった食品を摂取すべきである。
十一章 農業を再興し、食糧自給率を高めよう
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