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2015年10月15日とだわらび倫理法人会モーニングセミナー講話「メディア人として、日本創生を考える」より
皆さんおはようございます。
浦和倫理法人会所属、日本電子新聞社の船木淳でございます。今日は「メディア人として如何に日本創生について考える」というテーマでお話しをさせて頂きますが、その前に私の生い立ちからお話しします。私は昭和38年10月9日、東京都三鷹市で生まれ、国分寺市で育ちました。政治家の秘書の父、薬剤師の母の間に生まれました。父と母のなれそめは、父が学生時代、アルバイトで地下鉄日比谷線の工事をしていた時、六本木で偶然父の眼前を通りかかった母が、ハンカチを落としたのだそうです。それを拾い走って届けたことがきっかけで交際するようになった、と父は申しておりました。昭和15年生まれの父、昭和9年生まれの母なので、母の方が6歳年上です。父と母が結婚を決意し、父方の祖父に報告に行ったら、烈火のごとく反対し、60年安保闘争に身を投じたことで、半ば勘当同然だった父に対し、「二度と敷居を跨ぐな」と、本当に勘当されてしまったそうです。余談でした。そんな中で結婚した両親から私が生まれました。
子どもの頃の私は、ものすごく好奇心旺盛で、母方が広島県呉市にある真宗本願寺派のお寺であることもあり、冠婚葬祭、特に葬祭にものすごく興味津々な子どもだったのだそうです。読経も法話も、意味はよく分からないけど、聞くのが好きだったようです。読経は故人の霊を鎮め、あの世へと送り出すためのものでもありますが、生きて行く上で必要なことも、例えば浄土真宗で言えば「正信偈」(正信念仏偈)のように、インド・中国・日本でこの教えを正しく伝えた、七高僧の業績、徳を讃嘆している。つまり、お寺というか、僧侶も読経を通じ、歴史を伝える役割を担っているので、ある意味メディアではないかと思うのです。
話が横道に逸れましたが、好奇心旺盛な子どもである私は、本を読むことも大好きでした。一時、我が家が貧乏していた時も、母は本だけは買ってくれました。それこそ嫁入り道具で持参した着物を質に入れても、本を買ってくれたのです。そんな母のバックアップもあり、がむしゃらに本を読み、いつの間にか文章を書くことも好きになって行きました。私は幼稚園、小学校と東京都府中市にある明星学苑で学びました。当時の明星学苑は、運動会のマスゲームを「君が代行進曲」で行う位の学校で、保守的な匂いがする学校でした。でも、私の恩師はどちらかというと違う思想に染まっていたのか、例えばクラスの44人を6つのグループに分け、忘れ物検査でグループの誰かが忘れ物をしたらマイナス1、爪切り検査で爪が伸びていたらマイナス1という具合でしたから、忘れ物でもしようものなら、同じグループの子から責められ、詰られるということが日常的でした。学級新聞もグループ毎に編集・発行され、内容はどのグループも「忘れ物を無くそう」だとか、「縄跳びテストをグループ全員が合格」だとか、スローガンで溢れる新聞でした。そんな新聞に辟易していた私は、クラスメイト数人と「自由新聞」を発刊しました。しかし、内容に問題ありと批判に晒され、自主的に休刊しました。体罰も横行し、要領が悪い私はよくひっぱたかれてました。でも、そういう恩師の暴力を見て、クラスの中には、先生がやっているからと、当たり前のようにクラスメイトに暴力を振るうのがいたことも事実で、かなり窮屈な小学校生活だったのかなと、今振り返っています。そういう先生に一泡吹かせてやろうと、当時「読書帳」というのを付けさせられておりましたが、書名覧に谷崎潤一郎の「痴人の愛」や「卍」を書いて提出したら、先生は絶句してましたね。その顔を見て、「してやったり」と思いました。
昭和50年、小学校6年の頃、ラジオというものに興味を持ちました。当時、BCLと言って、海外の短波放送を受信することが、家電メーカーの策略もあり、小中学生の間でブームになりました。ブームに乗り、例えばラジオオーストラリアや、ロンドンのBBCでは日本語放送を短波で放送しており一番聴いている人は多かったのです。私が興味を持ったのが、韓国のラジオ韓国、北朝鮮の朝鮮中央放送の日本語放送で、今も韓国と北朝鮮は対峙しておりますが、70年代は放送を用いて、お互いの体制を批判し、自国の体制を礼賛する内容でした。韓国側では北朝鮮を「北韓共産集団」と言い、北朝鮮側では韓国を「南朝鮮傀儡一味」というように、ものすごくエキサイトしている印象でした。北朝鮮の朝鮮中央放送日本語放送は、韓国の朴正煕政権を痛烈に批判し、北朝鮮の金日成主席を「偉大な首領金日成同志におかれましては」と崇拝し、「南朝鮮の人々は搾取され、ボロをまとい、乞食同然の暮らしをしているが、我が人民は白米を食べ、牛肉スープを飲む、誰不自由なく地上の楽園で暮らしている」と、繰り返し言っておりました。小学生がこんな内容の放送を聴いたら、鵜呑みにする子もいたはずで、事実、私の回りにも、朝鮮中央放送を聴いて、北朝鮮に傾倒した者がいました。(つづく)
(全4回)
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