トップページ ≫ 社会 ≫ 弊社 船木キャップの講演実録連載(3)
社会
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2015年10月15日とだわらび倫理法人会モーニングセミナー講話「メディア人として、日本創生を考える」より
昭和58年、拓殖大学紅陵高校から拓殖大学外国語学部英米語学科へ進学をしました。第二外国語で朝鮮語を取得しましたが、やはり放送を通じて朝鮮半島の状勢に興味を持ったというのがあったので、言語も学ぼうと思ったのです。大学1年の夏休み、延世大学校の語学堂へ短期留学し、韓国語を学びました。高校生時代からアジア放送研究会という研究機関に所属しておりましたので、それが縁で韓国の基督教放送に勤務する友人ができ、留学当時から今も付き合いがあります。まだ88五輪前で、全斗煥の粛軍クーデター後の重々しい空気が漂うソウルの街でしたが、見るもの聞くものが斬新で、語学堂が休みの時は韓国国内を旅して回りました。板門店へ初めていったのもこの頃でした。
韓国から帰国すると、コスモレコードというレンタルレコード店から連絡があって、お店の宣伝のためにミニFMを開設するので手伝ってほしいと言われ、スカウトされました。レンタルレコード店でもアルバイトさせてもらえることにもなり、ミニFMはチーフ格で関わることになりました。国際スポーツフェアやミニFMフェスティバルなど、イベントにも多数呼んでもらい、雑誌ポパイやJJ、FMレコパルといった雑誌にもたくさん掲載してもらいました。これも家電メーカーの策略でしたが、ミニFMがブームになり、全国にたくさんの放送局が開設されましたが、一過性のものでしたから、ブームが去り、急速に閉局されました。映画「波の数だけ抱きしめて」は、まさにその当時のことが描かれており、弊社主筆小林司も「波の数だけ抱きしめて」にインスパイアされ、電通時代、FM横浜とのコラボで、湘南に海の家を運営する事業に携わりました。
大学を卒業し、放送メディア志望ではありましたが、採用されず、大学の先生の紹介で、ソーブン堂書店に入社しました。高田馬場店に配属され、入社当時は学習参考書と専門書を担当しましたが、入社3年目から雑誌も担当するようになり、その頃、出版業界紙の「新文化」より、連載の執筆依頼が来ました。当時、書店の宣伝用に「フリースタイル」というフリーペーパーを発行しておりましたので、多分それがきっかけだったのではないかと思います。「新文化」の連載によって、リクルートから業界向けに発行されていた「アグレ」というフリーペーパーからも執筆依頼が来たり、書く仕事というのも経験しました。
平成3年、コミュニティFM放送局が制度化し、函館のFMいるかを皮切りに、全国に広がって行きました。コミュニティFMというのは、それまで都道府県単位の広域、県域のみ割り当てられていた電波を、市町村単位にも割り当て、地域の防災情報発信に役立ててもらおうという意図がありました。東京では、武蔵野市の「むさしのFM」が、当時の土屋市長の肝いりでいち早く開局が決まり、私は開局前年にNHK-FMの「DJショー」という番組に出演しており、一応オーディションで選ばれ出演したという自負がありましたので、むさしのFMには自信満々で有償ボランティアに応募しました。むさしのFMの放送部長は、城野正幸さんというFM東京のアナウンサーだった方が就任し、応募書類に生意気なことが書いてある私の鼻をへし折ってやろうと、説明会で私は城野さんに声をかけられ、みんなの前に立たされました。(つづく)(全4回)
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