トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 日本人は稲から徳と共生を実らせた
外交評論家 加瀬英明 論集
私の利得を追うよりも、質実さを取り戻し、社会と世界に貢献することによって、二十一世紀を日本の世紀になるようにしたい。
ケネディー政権はアポロ宇宙計画を、アメリカの国家目標として打ち出した。日本は、環境保全技術を開発することを国家目標として採用し、その果実をひろく世界に供与することを宣言したい。
平成十七年の国勢調査によれば、日本で二十歳以上の選挙権を持つ有権者の総数は、一億人強だった。その後も少子化が容赦なく進んでいるから、今日では十九歳以下の国民が人口の20%を割っていよう。発展をもたらすのは若者だから、日本の将来は暗い。
日本が閉塞感にとらわれるようになってから、ずいぶんと日がたった。それは、バブル崩壊後の「失われた十余年」がもたらしたものだろうか。しかし、世界に目を向ければ、日本はなお繁栄を享受している。それなのに、国民の多くが日本に自信を持てないでいる。そのために破局を突破して、閉塞感を打ち破る気概を欠いている。
日本国民は先の大戦に敗れた時にも、未曾有の困難によく耐えて、打ち拉がれることがなかった。廃墟のなかから立ち上がって、世界第二位の経済大国を築くことができた。
それは江戸時代に培われ、日本を支えてきた精神のおかげだった。そうならば、いま私たちが直面している危機は、経済が停滞したことによってもたらされたのではない。精神が蝕まれて、日本人を日本人たらしめている心が失われようとしているからである。
日本の力の源泉は、共同社会を支えてきた徳の強い力から発してきた。その基本が家の絆だった。そして、地域の人々が、家族のように心を通わせたことにあった。日本は世界に希な、人々の相互信頼がつくった共生社会だった。
かつて私はアメリカに留学して、ニューヨークで過ごした。ニューヨークは完全なアメリカ型の都会だったから、慄然とした。私ははじめて、冷たい個人社会を体験した。だから、今でも、大都会に育った人々より、アメリカの南部や、西武などの地方から出てきた人々のほうが、田舎社会の暖かさを持っているので、親しみやすい。
東京は一九六〇年代に入っても、まだ人情が篤い有機的な社会だった。都会といっても人々は肩を寄せ合って生きていた。地方から続々と人が流れこみ、東京も人の温もりがある地方社会の延長だったから、田舎の良い面が残されていた。
ところが、いつのまにかこのような共同体が解体してしまった。日本という共同体を形成してきた道徳津が破壊された。
このような状況は、けっしてこの二十年や、三十年、いや、五十年のあいだに起ったことではない。その病根は、もっと深いところにある。明治の初年にまで溯らねばならない。
日本は西洋の列強と対抗するために、西洋を模倣する文化開化に性急に取り組まなければならなかった。他に方法がなかった。しかし、西洋が真正な文明の名に値しただろうか。明治以後の日本は、今日にいたるまで文明開化に浮かれて、農村を疎かにしてきた。
日本の近代化は、農村の犠牲によってすすめられた。明治以後は、無機的な都会と近代工業を築くことに、ひたすら力を注いできた。いま、日本全体がその報いを受けている。
昭和に入ると農村が疲弊したために、革新将校が農本主義者と結んで、二,二六事件などの無惨なクーデターを企てた。革新将校たちは日本のその後の進路を、大きく狂わせた犯罪者だったが、農村の都会文明に対する反発だったともいえた。
農業は日本にとって、生命の源である。日本を日本たらしめた共生の精神と徳の力は、稲作が文明として農村に発し、農民に培ったものだった。和合する心がこの国の活力だった。しかし、農を軽んじることによって、足元を否定してしまった。
十一章 農業を再興し、食糧自給率を高めよう
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