トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 食糧自給率80%と農業の復興を目指せ
外交評論家 加瀬英明 論集
日本の食糧自給率は40%しかない。飼料となると、10%を割るから食肉、乳製品、卵をふくめれば、さらに低下する。
他の先進国の食糧自給率をみれば、フランスが百二十二%、ドイツが八十四%、イタリアが六十二%、スペインが八十九%、スウェーデンが八十四%、イギリスが七十%で、日本よりはるかに高い。
私は日本を蘇生させるために、農業政策を転換して、食糧の自給率を八十%に引き上げることを提唱したい。
日本は農を疎かにし、外国から輸入した大量の食品に依存しだしたため、食物が商品化され、使い捨ての消費財となって、食物に対する畏敬の心が失われた。昔は米には、「穀霊」が宿ると信じられ、神聖なものだった。子供たちは、農民が八十八回の手間をかけて作られるから「米」というのだといわれ、一粒たりとも無駄にしないよう教えられてきた。
しかし、戦後はパン食の普及がはかられ、大量の輸入小麦に依存した生活に変わった。やがて米余り現象が起きて、農民の労苦への感謝の心も失われ、後継ぎたちは都会へ出てサラリーマンとなった。
その都会では、あらゆるものが金銭に換算される。そうするうちに、食べている人の価値までが、稼ぎ出す金銭の多寡だけで評価され、値段が打ち込まれた商品と変わらなくなった。
だが、人の心は商品化できない。心や、商品化できないものが、軽んじられていき、人の繋がりを失わせている。
日本人の気質は、農民がたすけ合うことによって培われた。米を作るには、天候と相談しながらの集中作業が必要だから、村中総出で田植えをし、稲刈りをしなくてはならない。そのため、共同体としての結束が固くなり、相互扶助の気風が定着した。多くの日本人は世話好きで、他人のことを自分の事のように思って、生きてきた。
だが、いまでは田舎までが都会化して、農村の伝統秩序が破壊されつつある。今日では、かつての水田総面積の四分の一の水田が、休耕田として放擲されている。農村には、水田や棚田に象徴される。永遠に循環する真っ当な生活があったのに、刹那的な都会文化に乗っ取られてしまい、生活文化も壊されてしまった。
三、四十年前までなら、都会の家でも、主婦が丹精をこめて柱をみがき、廊下に雑巾がけをする姿がみられた。人が生きるために必要な衣食住のすべてにわたって、感謝の心があり、大切に扱っていたのだ。いまでは地方においても、そのような柱や板敷もない軽便な家ばかりになった。
ほんらい家は、代を重ねて住むべきなのであり、先祖の魂が宿っていた。ところが、住宅も一代限りで建てかえるものと変わり、消費税を掛けたりするから、家までが使い捨ての商品になった。
地方では先祖伝来の春祭や、秋祭りが行われてきたが、村人の祖霊である氏神を祀るのにあたり、町や村役場が酒を提供するのは憲法違反だとかで、住民に万雑をもとめてはならないことが一般化している。万雑は「万雑公事」といって平安時代に発したことばで、荘園において農民がさまざまな雑税や、夫役を提供することを意味し、餅や酒も含まれる。
年中行事を地域総合で行い、年に何回か寄りあって共に飲食することで、人の絆は維持されるのだ。それまで禁じてしまったら、助け合えといっても、だれも動くまい。
田おこし、田植えにあたっては、集落が労力を借りあう信頼関係が人と人とを結んでいた。だが、家族や、共同体の核化が進んで、このような絆が断ち切られるようになった。農作業も機械化され、何でも一人でやるようになり、兼業農家が増えた。だが、トラクターや脱穀機会の購入代金や維持費用が、農家を苦しめている。
地域内での孤立化は、進むばかりだ。若夫婦が共稼ぎをするからといって、子を公費の補助による保育所に預けることが当然のことになっている。朝六時夜八時に日に二回サイレンを鳴らすのが、住民からの煩いという苦情によって、廃止された町や村が多いというのも、なんとも味気ない。
農は天地の化育の場であり、日本国民はつねに農の恩を意識して生きていた。だが、戦後、近代工業をいっそう偏重する政策がとられ、結果として都会と農村の縁が薄くなった。それとともに国民が、命を身近に感じなくなった。農民が濃耕であれ造林であれ、生命を育てる手助けをしてきたのだが、そうした姿を間近に見なければ、万物が天地自然から生じるという実感を、都会人は持ちようがない。
いま、「衣」と「住」は足りている。日本を危うくしているのは「食」だ。
農を蘇らせないかぎり、日本の再生は望めない.農を再生しなければ、この国に正気を取り戻すことはできない。学校教育の場において次の世代に、農業の尊さを教えなければならない。
日本経済は、輸出に過剰に依存したために、アメリカから発した経済不況に喘いでいる。政府は内需を振興するために、苦しんでいる。食糧についても、同じことである。海外に過度に依存するのは、使命を制せられる重大事だ。
先年、オーストラリアの旱魃によって、小麦の値段が高騰し、パンやうどんが値上がりした。アメリカでは、食物を原料とするエタノール生産が拡大し、大豆の穀物としての輸出が大幅に減り、いま、各国が奪い合いを演じている。飼料用トウモロコシも高騰し、日本の牧畜が立ちゆかなくなっている。
いま、私たちは明治維新以来の一五〇年、あるいは敗戦以来六四年のあいだに向上させてきたつもりの消費様式を、改めることが求められている。
生きるために必要なものがなんであるか見分け、次世代に伝えるべきものを保護育成して、江戸時代のような循環型社会を、今一度築き上げたい。
幸いなことに、中国産の有毒物質に塗れた野菜や食品によって、消費者が中国産の食品を嫌うようになった。とはいえ、スーパーやコンビニが、中国産の食品を売らなくなったはずなのに、貿易統計をみると、中国からの食料品は、一兆円近い大量輸入が続いている。穀物や野菜は、生ではなく、冷凍食品や加工品にして輸入すれば、税関での農薬検査をへないですむので、弁当や外食産業などが使っているからだ。
農家の暮らしが、サラリーマン並みに安定したものになれば、帰農する者も出て、後継者も育つだろう。生かし生かされているという心を失わなければ、野菜をはじめとする国産の食物を買いたたくより、使いきる工夫をするようになろう。「もったいない」の精神である。
いくらかは高くても、国産の食品を積極的に選ぶことが、食だけではなく、国の安全をはかり、徳に支えられる国民精神を作興することになる。
完
十一章 農業を再興し、食糧自給率を高めよう
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