トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 全世界の首都に君臨するワシントン
外交評論家 加瀬英明 論集
私はもう40年以上もワシントンに通ってきた。
ワシントンはいつ訪れても、ここで世界の新しい歴史が、刻一刻、つくられているのだという昂奮が、渦巻いている。
アメリカの対外政策が世界のありかたを形成するのに当たって、ワシントンが、もっとも大きな役割を果たしている。
アメリカは第二次世界大戦後、その巨大な経済力と、圧倒的な軍事力によって、世界の運命を織り上げてきた。ワシントンは、世界の操縦席だといってよい。
ホワイトハウスを頂点とする官庁、連邦議会があり、わきを流れるポトマック川を越えると、巨大な五角形をしたペンタゴン(国防総省)がある。
この街には、政権の幹部職員、連邦議会の議員とスタッフ、高級軍人、シンクタンクの上級研究者、全米の数多くの企業の駐在員、ロビイストや、コンサルタントたちが、忙しく行き交い、連邦政府の内外の政策をめぐって、鎬を削っている。
ワシントンは、いつだって不況を知らない。
アメリカ全土にわたって、景気が後退することがあっても、ワシントンは別天地だ。
巨大な連邦予算に群がる人々によって、ホテルや、レストランがつねに潤っている。レストランを予約しようとしても、テーブルが取れないことが、少なくない。
この街は、緑と公園が多い。建物に高さ制限があるため、都心に高層ビルが一つもないことが、心を和ませる。
ポトマック川を越えれば、タバコの生産地として知られてきた、南部のバージニア州がひろがっているから、ニューヨークのような大都会と違って、どこか、田舎の暖かさが感じられる。
いつも、全国から集まった善男善女の観光客によって、賑わっている。
私にとっては、金儲けを日々の糧にしている、冷たいニューヨークよりも、親しめる。
ワシントンは、世界の歴史ではじめて、何一つなかった原野に首都として設計され、建設された都市だ。
アメリカが1776年に独立宣言を発して、13の州が連邦をつくって独立した時に、連邦議会はフィラデルフィア、バルティモア、ランカスター、ヨーク、プリンストン、トレントン、ニューヨークの7つの都市に分散して、持ち回りで開催されていた。
1791年に、初代大統領のジョージ・ワシントンが、今日の場所に首都を建設することを決定し、連邦議会議事堂からホワイトハウスを結ぶ、広いペンシルバニア大通りを背骨として、碁盤の目のように設計された。
連邦議会議事堂を「キャピトル」、議事堂が建つ丘が「キャピトル・ヒル」と命名された。古代ローマの最高神ユピテルを祭る、カピトリヌス神殿から取ったものだった。いかに、壮麗な都市をつくろうとしたのか、分かる。
ワシントンは1800年になって、完成した。ペリーが黒船を率いて、嘉永6年に浦賀沖に現れた、53年前のことだった。
白い石灰石でつくられた大統領官邸が「ホワイトハウス」と、渾名された。ところが、はじめは人口が少なく、道がすぐにぬかるんで、商店も、レストランも社交場もほとんどなかったために、多くの連邦議員が首都をフィラデルフィアに移したいと、不平の声をあげた。
1812年に、米英戦争が勃発すると、イギリス軍によって、ホワイトハウスをはじめとして中心街が焼き払われた。
ワシントンがようやく活況を呈すようになったのは、南北戦(1861年~65年)によるものだった。
その後、アメリカの力が増すのにしたがって、ワシントンも成長していった。
アメリカはいつまで超大国でいられるか 第1章オバマ大統領の凋落
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