トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 熱狂的な歓呼で迎えられたオバマ大統領
外交評論家 加瀬英明 論集
私にとってワシントンは、古戦場でもある。
私は1976(昭和51)年に、福田赳夫内閣が発足した時に40歳だったが、首相特別顧問として、翌年の第一次福田・カーター会談を準備することから、対米折衝を手伝った。
中曽根康弘内閣(1982年~87年)でも、同じ肩書きを与えられて、ワシントンで働いた。そのあいだに、二つの内閣で外相顧問、防衛庁長官顧問として、ワシントンを訪れた。
私は2013年12月の第3週に、ワシントンに半年ぶりで戻ったが、それまで体験したことがなかった、強い衝撃を受けた。
ワシントンが、これほど大きく変わったのを体験したのは、はじめてのことだった。
オバマ大統領は任期が、まだ3年も残っているというのに、支持率が39%まで急降下していた。ウォーターゲート事件直後のニクソン大統領に近いところまで、落ちた。オバマ大統領の支持率は、1年前までは55%もあった。
オバマ大統領は、2008年11月に、大統領として選出された。
翌年1月に、就任式が催された。新大統領夫妻が恒例のパレードを行なったが、連邦議会議事堂からホワイトハウスまでを結ぶ、ペンシルバニア大通りの沿道を、全米から集まった群衆が立錐の余地もなく埋めて、歓声を送った。
アメリカ全国からだけではなく、世界各地から200万人以上の大群衆が集まったと、報じられた。アメリカの建国233年にわたる歴史で、大統領就任式にこれほど夥しい数にのぼる群衆が、集まったことはなかった。
この日のワシントンは、まるでディズニーランドならぬ、“オバマランド”になったようだった。
オバマ新大統領は、就任直前の世論調査で、82%の高い支持率を記録した。
アメリカが建国されて以来、このようにまったく知られていなかった人物が、箒星のように現われて、大統領として選出されたことはなかった。私は底知れない、不気味なものを感じた。就任式の騒ぎは、現生離れした救世主信仰がもたらしたのだと思った。
この日、首都を埋めた大群衆は、新大統領に対する期待の大きさを、物語っていた。
新大統領がよく知られていなかったからこそ、このような大きな期待がいだかれたのだった。オバマ大統領は、誰でも自分の願いをこめて、コインを投げ入れる、泉のようなものだった。
オバマ大統領の人気は、天空のかつてない高さまで昇った。
私はオバマ大統領がホワイトハウスの金的を射止めた時に、アメリカはとんでもない人を選んでしまったと、書いた。
オバマ候補は、内政外政についてまったくの素人で、未知数以外の何ものでもなかった。不遇な少年期を送ったのにもかかわらず、努力してハーバード大学ロー・スクールで博士号を取得し、市民活動家として頭角を現わし、イリノイ州の州議会議員をつとめた。独立独行の人である。そのうえで、中央の上院議員として当選した。弁舌が際立っていたので、余勢を駆って、大統領選挙を目指して、全米を精力的に飛び回ったために、ワシントンにほとんどいることがなかった。
オバマ大統領は、外交、内政、行政の経験がまったくなく、中央に人脈も持っていなかった。
どの大統領候補も、アメリカを再生することを約束するが、オバマ上院議員は「ホープ」「チェンジ」「イエス・ウイ・キャン!」を叫ぶことによって、大統領として選出された。
オバマ候補は、アメリカがブッシュ(子)政権のもとで、イラクとアフガニスタンに軍事介入して大失敗を招いたために、疲れ果てていたから、イラクとアフガニスタンから撤兵することを、公約の大きな柱として掲げた。
私はオバマ大統領の就任式の模様を、テレビ中継によって、初めから終わりまで、見た。
そして雑誌に、「オバマ大統領は、就任当日のワシントンを、巨大なお祭り広場に変えることしか、できないだろう」と、論評した。
オバマ大統領は就任の宣誓を行なって、夫人とともにホワイトハウスまで、ペンシルバニア大通りをところどころでリムジンから降りて、群衆の歓呼にこたえて歩いた。
世界の最強国であるアメリカが、オバマを大統領として選んだのは、国民がイラク侵攻戦争がもたらした泥沼に行き詰まって、いかに疲れ果てていたかを、物語っていた。
オバマを救世主として見立てて、縋ったのだった。
アメリカはいつまで超大国でいられるか 第1章オバマ大統領の凋落
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