トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 驕り高ぶったアメリカの失敗
外交評論家 加瀬英明 論集
歴史は、移ろいやすい。ゆるやかな流れが、ある時、突然のように急流となって、激流に変わる。この25年間を振り返ってみただけでも、世界の流れが、何と大きく変わったことだろうか。
1989年に、東西ドイツを分けていた“ベルリンの壁”が、崩壊した。
その2年後の91年に、ソ連が解体したことによって、米ソによる二極支配時代が終わり、世界が“アメリカ一強時代”に入ったと、囃し立てたものだった。
2001年9月11日に、ニューヨーク・マンハッタンの世界貿易センタービルが、イスラムのテロリストにハイジャックされた二機の旅客機による自爆テロによって、倒壊した。同じ日に、国防総省にも、同様にハイジャックされた旅客機が、突っ込んだ。
ブッシュ(子)政権と、アメリカ国民が熱り立った。
アメリカ本土に国外から攻撃を加えられたのは、1812年の米英戦争以来のことだった。
2001年のアメリカは、文字通り無敵の国だった。
しかし、国外から攻撃を加えられたというものの、敵がいったいどこにいるのか、すぐに分からなかった。それでも、アメリカは見えない敵に対して、何としても、手ひどい報復を加えなければならなかった。
ブッシュ(子)大統領は翌年1月に、議会において大統領一般教書演説を行ない、「全世界に自由と正義を広めることが、われわれの使命である」「脅威を退けて、封じ込めるだけに、留まっていてはならない」と、訴えた。満場の与野党議員が立ち上がって、盛んな拍手を送った。
アメリカは、驕り高ぶっていた。まず、アル・カイーダが本拠地としていた、タリバン政権のアフガニスタンを、血祭りにあげた。
アメリカは2001年10月から、NATO(北大西洋条約機構)ヨーロッパ諸国を誘って、有志連合諸国による多国籍軍とともに、アフガニスタンに攻撃を加えて、作戦を開始してから、わずか2カ月間でタリバン政権を倒した。
ブッシュ(子)政権によるアフガニスタン侵攻は、「永遠の自由作戦」と命名された。
アフガニスタンのタリバン政権は、鎧袖一触だった。だが、アフガニスタン侵攻は、手始めにしかすぎなかった。
ブッシュ大統領は一般教書演説を行なった時点で、すでに政権内部において、つぎにイラクを攻撃して、サダム・フセイン政権を倒すことを決定して、着々と計画を練っていた。
アメリカは、アフガニスタンのタリバン政権を倒しただけでは、とうてい満足することができなかった。アフガニスタンは相手として、小さすぎた。もっと大きな相手を倒さなければ、アメリカ国民の激しい怒りを、鎮めることができなかった。
イラク侵攻作戦は、フセイン政権を打倒したうえで、イラクに民主主義をもたらし、中東をつくり変えようとするものだった。
アメリカ人はどの国民よりも、明るいことによって知られるが、楽観的である。
ブッシュ(子)政権は、中東に民主主義を広めることができると、楽観していた。民主主義ということは、アメリカ化することである。イラク侵攻は「イラクの自由作戦」と、名づけられた。
ところが、アメリカが驕り高ぶっていた時代は、その後、10年も続かなかった。
アメリカはいつまで超大国でいられるか 第1章オバマ大統領の凋落
バックナンバー
新着ニュース
- エルメスの跡地はグッチ(2024年11月20日)
- 第31回さいたま太鼓エキスパート2024(2024年11月03日)
- 秋刀魚苦いかしょっぱいか(2024年11月08日)
- 突然の閉店に驚きの声 スイートバジル(2024年11月19日)
- すぐに遂落した玉木さんの質(2024年11月14日)
特別企画PR