トップページ ≫ 社会 ≫ 三谷幸喜「真田丸」と池波正太郎「真田太平記」
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鳴り物入りで始まったNHK大河ドラマ「真田丸」は第2回で視聴率が20%を超えたというから上々の出だしだ。大河ドラマは戦国武将をテーマにしたものが多い。真田家、特に真田幸村はこの時代のヒーローだ。忍者や豪傑が活躍する講談「真田十勇士」が一役買ったこともあるが、長く人々に親しまれてきた。十勇士はほとんど架空の人物だが、知略にすぐれた真田昌幸と息子の信幸(のちの信之)・信繁(のちの幸村)兄弟の物語はドラマティックで、今までに大河ドラマにならなかったのは意外と思う人も多いだろう。
実はNHKには池波正太郎氏の「真田太平記」を大河ドラマ化する企画があったのだ。私はNHKと池波氏の話し合いのすぐそばにたまたま居合わせたことがある。昭和49(1974)年、もしくはその翌年の初めのことだった。週刊誌編集部で池波氏の連載小説「忍びの女」を担当していた私は毎週、武蔵小山商店街に近い池波邸に伺った。ある時、池波夫人が出てきて、「今日はNHKの人が来ていまして……」と言って、応接間ではなく茶の間に案内してくれた。夫人によれば先客は大河ドラマ班幹部で、「真田もの」のドラマ化の話だという。
池波氏は昭和49年1月より週刊朝日に「真田太平記」を連載していたが、長期連載と聞いており、まだドラマ化には早過ぎるから、真田家を扱った他の作品だろうとこの時は思った。直木賞受賞作「錯乱」、同候補作「真田騒動」「信濃大名記」をはじめ、短編・中編の真田ものを数多く書いていた。豊臣方についた昌幸・信繁とは逆に徳川方に回った信幸が、信州上田の領主となった後の話が中心だ。父と弟が敵方だったということで、天下平定後も徳川幕府は常に警戒をゆるめず、複数の隠密が領内に忍び込んでいた。上田から松代へ国替えさせられ、藩の財政も厳しく、小説には真田家代々の領主や家臣の苦労が描かれている。後の池波作品とは文体やテイストが違うものの、味わい深い小説がそろっている。しかし、もう合戦のない時代の話が中心なので、派手な場面が求められる大河ドラマにはどうかなと思える作品ばかりだ。
やはりNHKの標的はずっと後に完結する「真田太平記」のほうだったようだ。まる9年の連載が終了したのは昭和57年12月だったから、NHKは先物買いを試みたと言える。週刊朝日の担当編集者も「大河小説と冠を付けたのは、NHKの大河ドラマを意識して、その原作を狙っていた」と打ち明けているから、両者の思いが一致したのだろう。ただ、池波氏自身はそれほどご執心ではなかったという。
そして昭和60年にNHKで放送されたのだが、日曜夜8時ではなく、水曜夜8時だった。日曜夜のほうは明治から昭和の時代設定の作品が3年続き、その間、新大型時代劇と銘打って、水曜夜に時代劇を持って行ったという事情があったのだ。日曜と水曜では視聴者の注目度に大きな差があった。この「真田太平記」に幸村役だった草刈正雄が、31年後の今回のドラマでは父・昌幸を演じる。
池波氏は「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人藤枝梅安」など江戸市井ものシリーズ小説があまりにも有名だが、「真田太平記」は一連の真田ものの集大成としてライフワークの趣きがある。大河ドラマ「真田丸」は数々のヒット作を生み出した三谷幸喜のオリジナル脚本だが、膨大な池波作品群を意識しないわけにはいかないだろう。池波氏は史実をよく調べているから、参考資料としても役立つはずだ。
第1回の放送では、武田信玄亡きあとの武田軍が織田・徳川勢の猛攻にあって敗走するが、これは「真田太平記」と同様の始まりになっている。三谷氏のことだから、ドラマを面白くするためにいろいろな手を打ってくるだろう。真田親子のような驚きの手法を期待したい。
山田洋
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