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外交評論家 加瀬英明 論集
アイゼンハワー(アイク)大統領が1953年に就任すると、朝鮮戦争の停戦を急いだ。
朝鮮戦争が終わると、アイクは、国防支出に大鉈を振るった。
トルーマン政権が残していった412億ドルにのぼる、1954年度の国防予算要求額を13%削って、358億ドルまで減じた。1955年の国防予算は、さらに309億ドルまで圧縮された。これは、朝鮮戦争の終焉がもたらした「平和の配当」だった。
アメリカは、周期的に、アメリカが衰退してゆくという危機感に、とらわれてきた。
私は1957年10月に20歳だったが、アメリカに留学していた。
この月に、フルシチョフ首相のソ連が、アメリカに先駆けて、人類最初の人工衛星『スプートニク』を打ち上げて、地球を回る軌道に乗せた。
アイゼンハワー政権のもとにあったアメリカは、これに、強い衝撃を受けた。『スプートニク』の打ち上げがもたらしたショックは、「ミサイル・ギャップ」として知られる。
アメリカは強い危機感に、襲われた。このままゆけば、ソ連が20年あまりのうちに、科学技術だけでなく、あらゆる面でアメリカを追い越すことになると、まことしやかに論じられた。
1960年に、大統領選挙が戦われた。ニクソン副大統領と、民主党のジョン・F・ケネディ上院議員が争った。
ケネディ候補は42歳で、颯爽としていた。
ケネディは、ソ連のほうが理科系の学生が多いことから、宇宙開発から先端軍事技術、国民生活の質にいたるまで、じきにアメリカを凌駕することになるだろうと、国民の恐怖感を煽り立てて、アイゼンハワー政権の失政を、激しく非難した。
ニクソン候補は、アメリカがこの時点で人工衛星を、20回以上も地球軌道に乗せたのに対して、ソ連は5回しかなく、仮にこのあとも有人衛星を打ち上げたからといって、アメリカの優位が揺らぐことはないと、反論した。ソ連はあらゆる面で、アメリカに大きく立ち遅れているから、20年以内にアメリカを凌駕することなどありえないと、言い返した。
選挙結果は、僅差で、デマゴーグのケネディが勝った。
私はケネディ大統領が就任演説のなかで、「自由を守るためには、いかなる代償も、どのような重荷を担うことも、厭わない」と述べたのに、ずいぶん乱暴なことを言うものだと思ったのを、憶えている。
それだけ、国民のあいだで人気が高かったから、このような発言を行なうことができたのだろう。
ケネディは、ソ連の脅威がいやが上にも募っていると訴えて、ホワイトハウス入りを遂げたのだった。第35代大統領として就任したケネディは、才気あるアジテーターだった。
だか、ソ連は経済が振るわず、1960年から31年後に崩壊した。
私は1991年のクリスマスの日だったが、モスクワのクレムリン宮殿の上に、ソ連が樹立されて以降69年にわたって翻っていた、赤地に鎌と槌をあしらったソ連国旗が、最後に降ろされたのをテレビで見たことを、よく憶えている。
ソ連によって追い越されるという議論は、アメリカにおいて、今日、このままゆけば、中国が20年以内に、アメリカを経済力と軍事力において上回ることになると説く者が多いのと、似ている。
アメリカはいつまで超大国でいられるか 第2章アコーディオン国家・アメリカ
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