トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 史上最弱といわれたカーター大統領
外交評論家 加瀬英明 論集
私は福田赳夫政権がその翌年に発足すると、首相の顧問としてアメリカとの折衝に当たったが、1977年に発足したカーター政権が相手だった。
カーター大統領は、朝鮮半島から在韓米軍を撤退することを公約していた。私の役目の一つが、在韓米軍の撤退を撤回するように、手練手管を尽くして、説得することだった。
私はホワイトハウス、国防総省に対して、トルーマン政権でアチソン国務長官が、韓国をアメリカのアジアにおける防衛線の外に置いたことが、ソ連の誤算を誘って、朝鮮戦争を招いた故事を挙げた。
また、もし、在韓米軍を撤収した場合には、日本が核武装する決意をせざるをえなくなると、威嚇した。
これは、日本の外交官だったなら、絶対に口にすることができない言葉だったが、首相の顧問だったから、自分の意見を自由に述べることができた。先方から信頼されている者の発言は、重く受け取られる。
私はシカゴ大学がイギリスから買収した、大英百科事典として知られてきたブリタニカ百科事典の最初の外国語版である。日本語版『ブリタニカ国際大百科事典』(TBSブリタニカ社)の初代編集長をつとめたが、68年の大統領選でニクソンに敗れたハンフリー元副大統領が、シカゴにあるブリタニカ社の役員となっていた。そんなことから、ハンフリー元副大統領と親しくなった。
首相顧問として訪米する前に電話をして、協力を口添えしてくれるよう頼んだ。その時、ハンフリー元副大統領は、イリノイ州選出の上院議員となっていた。
カーター大統領は、ハンフリー元副大統領を師として敬っていたが、私がワシントンに到着する前に、カーター大統領に電話を入れてくれていた。
カーター政権が発足した時には、アメリカ国民はベトナム戦争が大失敗に終わったことによってもたらされた深い傷が、癒えていなかった。
前任者から、泥沼化した戦争の後始末を委ねられた大統領は、内に籠る。
カーター大統領は、第二次大戦後のもっとも弱い大統領だった。1979年にソ連がアフガニスタンを侵略したのも、在韓米軍の撤退を公約したために、軽んじられたせいだったと、いわれた。
カーター政権のもとで、アメリカは内に籠り続けた。アメリカは巨人ガリバーであるのにもかかわらず、ベトナム戦争の失敗という、生々しい体験によって、全身を縛られていた。
そのうえ、アメリカはイスラム産油諸国が、1970年代に2回にわたって引き起こした石油危機によって、経済が混乱したために、国民が自信を失った。
カーター大統領は、いまでも「弱い大統領」として、記憶されている。
オバマ大統領はカーター大統領よりも、もっと弱い大統領であると、批判されている。
アメリカはいつまで超大国でいられるか 第2章アコーディオン国家・アメリカ
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