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短期間の肉体改造に耐えられる人
2016年02月12日
ダイエットがらみのテレビCMが毎日大量に流れてくるが、ビフォーとアフターで歴然たる違いを見せつけてインパクトがあるのはRIZAP(ライザップ)が1番だろう。1回50分のマンツーマン・トレーニングを週2回、無理な食事制限はなく、適切な運動法と食事を徹底指導。男性なら厚い胸板、見た目もくっきりの腹筋、たるみのない腕、女性ならきれいな背中のライン、引き締まったヒップ、素晴らしい脚線美を作るという。費用のほうは入会金5万円、2か月で計16回のトレーニングで29万8000円(ともに税別)というから、それなりの覚悟を要する。
今はCMにAKB48の峯岸みなみが起用され、「私は、くびれを手に入れた!」と、別人のような体の変貌をアピールしている。それはそれでお見事なのだが、私には年齢が近いオジさんたちの挑戦のほうが親近感がある。偶然だが、ここのCMに出ていた赤井英和さん(56歳)と生島ヒロシさん(65歳)は、30年近く前に出版社の書籍編集部員だった私が両者の著書を担当したという縁がある。
「浪速のロッキー」と呼ばれ、人気プロボクサーだった赤井さんは、試合で受けた頭部のダメージによる急性硬膜下血種と脳挫傷から奇跡的な回復をして、第2の道を模索中だった。芸能界進出を視野に入れ、その第1歩として自伝出版という位置付けだった。生死の境をさまよった大けがから間がなかったが、会ってみると元気で、それを感じさせなかった。冗談を飛ばし、愛嬌があった。
『浪速のロッキーのどついたるねん』は1987年10月に刊行された。大阪での彼の人気は知っていたが、本の売れ行きは予想を超え、増刷に次ぐ増刷で、大阪ではベストセラーだった。この本を原作として映画化もされた。阪本順治監督のデビュー作『どついたるねん』で、主役は赤井さんご自身。映画館ではなく、原宿に特設テントを設置して長期間上映された。宣伝予算はなかったが、口コミで評判を呼び、1989年の多くの映画コンクールで作品賞を受賞、赤井さんも複数の新人賞を獲得した。
本でも映画でもボクサーとしての苦しい減量が描かれていた。ジュニアウェルター級(今のスーパーライト級 体重上限63.5キロ)だったので、試合のたびに10日から2週間で7~8キロ落とさなければならない。真夏でもカッパを着て走ったり、宿舎の部屋を締め切ってストーブを何台も燃やす。最後の100~200グラムがおもしろい。体は疲れ切って動けないので梅干しガムを山盛りにして嚙みまくる。トイレに行っても数滴しか出ないのに、唾液は出てくる。牛乳ビンにためて1本、これで200グラム。ただ、あごが疲れるという。ボクサー時代はふだんの体重が71キロちょっと、CM撮影時は77.1キロから7キロ落としたそうだが、出来上がった体とダブついた体ではスタート時点で差があるから、減量の苦労は比較にならないだろう。
生島ヒロシさんの本を手掛けたのも同じ頃で、彼はTBSのアナウンサーとして活躍中だった。学生時代に単身で米国に渡り、アルバイトをしながらカリフォルニア州立大を卒業したという行動派であった。日本でタレント活動をしていたケント・デリカットさんとの共著『ケントとヒロシの英会話生中継』は2人の楽しいやりとりを通して英会話のコツを身につけるというものだった。
この頃から生島さんはTBSを辞めて独立することを考えていたようだ。迷いもあったはずだが、彼の選択は成功した。それはたぐいまれなチャレンジ精神に負うことが多いはずだ。著書の出版以来ずっと年賀状をいただいているが、毎年、新しいテーマに取り組んだことが事細かに記されていた。取得した資格も数多い。ファイナンシャルプランナー、ヘルスケア・アドバイザー、福祉住環境コーディネーター、eco検定、防災士等々。これにより、健康や福祉、金融など仕事の幅を広げている。今年の年賀状にはRIZAPで結果を出したことが書かれていた。私はCMを初めて見たとき、「そこまでやらなくても」と思ったが、やろうと思ったらやりぬくのがこの人の流儀なのだろう。
赤井さんと生島さんが、それぞれ人生の転機に直面している時期に私は一緒に仕事をしたことになる。この2人だからこそ、あの肉体改造をやってのけられるわけで、普通のオジさんにはなかなか難しいだろうというのが私の実感だ。
山田 洋
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