トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ いっさいの階級制度から自由だったアメリカ
外交評論家 加瀬英明 論集
アメリカ人と出会うと、世界のなかのどの国の国民よりも、気安い。
飾ることがまったくなく、ヨーロッパ人と違って、人懐っこいから、すぐに打ち解けることができる。
これは、ヨーロッパの旧世界から、いっさいのしがらみを捨てて、新世界に渡ってきた人々が、アメリカ社会を築いたからである。
人々は新世界では、平等だった。人々は旧世界では、血筋、階級、職業による上下関係によって、厳しく束縛されていた。職業に、貴賤があった。労働者は代々、親の職業を継いだし、排他的な同業組合によって、新参者に扉が閉じられていたから、職業を自由に選ぶことができなかった。
人々の一生は、生をいったん享けると、生涯にわたって、定められていた。
だが、人々は新世界では、自由だった。旧大陸で人々を苦しめてきた束縛が、まったく存在しなかった。
旧世界において、人々はさまざまな制約の檻のなかに閉じ込められていたが、新世界では出身を問わずに、誰もが機会を均等に与えられた。
新世界がそのように呼ばれたのは、自然環境が目新しかったからでは、けっしてない。
アメリカには移住者にとって、それまで存在しなかった、自由な空間が待っていた。
それに対して、南アメリカ大陸と中米では、同じようにヨーロッパから移住してきた白人によって、社会が形成されたが、スペインや、ポルトガル本国の社会秩序が、そのまま持ち込まれた。
宗教については、旧世界と同じように、旧教であるカトリック教会が支配したので、聖職者が権威を失うことがなかった。
アメリカでは、身分差別が存在しなかった。
旧世界であるヨーロッパでは、ミスター、ミセス、ミス(Mr、Mrs、Miss)は、下層階級が、上層階級に属する人々を呼ぶ時に用いる敬称であったのが、新世界では誰に対しても、互いにそう呼びあった。このアメリカの習慣が、かなり後になってから、ヨーロッパにもひろがるようになった。
誰もが平等だったから、人々が出会うと、すぐに気安く、ジムとか、ヘンリーとか、トムとか、チャーリーとか、ファースト・ネームによって、呼びあった。だが、ヨーロッパでは、今日でも、よほど親しくならないかぎり、ただちにファースト・ネームで呼ぶようなことはしない。
このような平等社会を背景として、男女も開拓地で、ともに額に汗して働いたことが手伝って、対等になっていったために、女性が荒々しくなった。アメリカの女性は、慎みや、しとやかさを失って、今日の日本の女性のように、女性らしく恥ずかしがったり、はにかむようなことが、まったくない。
もっとも、今日のヨーロッパでも、女性がかつてのように、男性を立てることがなくなりつつある。アメリカニゼーションの高波が、世界をすみずみまで、洗うようになっている。
1776年に、アメリカ独立宣言がフィラデルフィアで署名されて、13州がイギリスから独立した時に、アメリカの人口はほぼ1000万人に達していた。
もっとも、このうち5人に1人が、アフリカから売られてきた黒人奴隷だった。
初代大統領として選ばれたジョージ・ワシントンは、バージニア州出身だったが、農園主で、多くの黒人奴隷を所有していた。
バージニア州は、アメリカ最大の「バージニア奴隷市場」が、定期的に開かれることによって有名だったが、独立時の州の44万7000人の人口のうち、18万8000人が黒人奴隷だった。バージニア州は13の州のなかで、奴隷が人口に占める比率が、もっとも高かった。
新生アメリカにとって、綿花が外貨を稼ぎだす、最大の輸出産品となっていた。アメリカの発展を、農場で働く奴隷に依存していた。
13の州は大西洋に面して、細い帯をつくっているように、連なっていた。
アメリカはいつまで超大国でいられるか 第3章お節介で不思議な国・アメリカ
バックナンバー
新着ニュース
- エルメスの跡地はグッチ(2024年11月20日)
- 第31回さいたま太鼓エキスパート2024(2024年11月03日)
- 突然の閉店に驚きの声 スイートバジル(2024年11月19日)
- すぐに遂落した玉木さんの質(2024年11月14日)
特別企画PR