トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 1812年に始まったイギリスとの戦争
外交評論家 加瀬英明 論集
日本ではアメリカという国が、すぐ身近にあるために、よく知っていると思いがちだが、1812年の米英戦争については知られていないから、ここで解説したい。
どうして、建国から、36年しかたっていないアメリカのほうから、イギリスに宣戦を布告したのだったろうか。
米英戦争は、1799年にヨーロッパで始まった、ナポレオン戦争が発端となった。
ナポレオンはヨーロッパ全大陸を、ほぼ制圧することに成功したが、ネルソン提督のイギリス艦隊とのトラファルガー沖の戦いで、フランス海軍が壊滅してしまったために、制海権を失った。
イギリスは海軍力を用いて、ヨーロッパ大陸を封鎖した。
このような状況に乗じて、星条旗を掲げたアメリカの商船が、中立国の船として、フランス、スペインの船に代わって、メキシコ湾がその岸を洗うメキシコからベネズエラまで、カリブ海に連なるキューバや、ハイチなどのフランス領西インド諸島、フランスとスペインが半分ずつ領有していたドミニカなどと、フランス、スペイン本国とのあいだの交易を、ほとんど独占することができた。
このおかげで、アメリカの商船主はしばらくの間、巨利を博することができた。
もちろん、イギリスが黙っているはずがなかった。フランス、スペイン本国へ向かう、アメリカ船を拿捕して、積荷を押収した。また、アメリカ人乗務員を強制徴用して、イギリス海軍に取り込んだ。
アメリカは、イギリスに対して海洋の自由を侵犯するものとして、抗議を繰り返したが、イギリスは耳をかさなかった。
アメリカは1812年、旧宗主国であったイギリスに対して、戦端をひらいた。
アメリカはこの機会に、イギリス領であったカナダを奪って、アメリカ領として編入しようとした。カナダは広大だったが、当時、人口が50万人しかなかった。だが五大湖の湖上や、周辺で、イギリス軍によって撃退され、目的を果たせなかった。
戦況は、一進一退した。1814年8月に、イギリス艦隊が首都ワシントンから近い、バージニア州南東部のチェサピーク湾に侵入して、4000人のイギリス軍を上陸させて、防備が手薄だったワシントンを占領した。イギリス軍は、連邦議会議事堂、ホワイトハウスをはじめとして、ワシントンの中心街を焼き払った。
これは、先にカナダに侵入したアメリカ軍が、五大湖のほとりに位置している、イギリス総督府があったヨーク市街を、焼き払ったことに対する報復だった。
ワシントンが破壊された後、アメリカとイギリスのあいだで、ベルギーにおいて和平交渉が行なわれて、1814年のクリスマスの前日に和平条約が調印された。これによって、戦争が終結した。
アメリカでは、1812年からの米英戦争が「第二の独立戦争」と、呼ばれている。
アメリカはこの戦争によって、はじめて一人前の国家として、国家の体をなすようになった。外国と戦うために、国家体制を整備しなければならなかった。その結果、国家として、大きく成長したからである。
それまで、アメリカは農業国であって、綿布などの工業製品を、ヨーロッパからの輸入に依存していた。ところが、ナポレオン戦争によって、ヨーロッパからの輸入が激減したために、このあいだに自前の工業が興った。
米英戦争のために、当時のジェームス・マディソン大統領(第4代、在任1809年~17年)は、アメリカ史のなかで、きわめて高く評価されてきた。
今日、アメリカ全国に、マディソンの名を冠した、57にのぼる郡や、町や、村が存在しているが、これはどの歴代の大統領よりも多い。ニューヨークのマンハッタンには、目抜き通りの五番街とパーク街のあいだに、洒落た店が並ぶマディソン通りがあるし、スポーツの殿堂として有名なマディソン・スクエア・ガーデンがある。
アメリカはいつまで超大国でいられるか 第3章お節介で不思議な国・アメリカ
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