トップページ ≫ 社会 ≫ 旧制浦和中学が舞台の熱血小説と『巨人の星』~その1
社会
特に埼玉県、さいたま市の政治、経済などはじめ社会全般の出来事を迅速かつ分かりやすく提供。
埼玉県立浦和高校では創立120周年記念事業として、同校同窓会(川野幸夫会長)が財団を設立し、返済義務のない奨学金を在校生、卒業生に提供している。同窓会による奨学金というのは全国でもきわめて珍しいという。この話を聞いて、家が貧しくて旧制浦和中学(浦和高校の前身)に進学できなかった少年の奮闘を描いて国民的人気を博した小説が思い出された。
詩人・サトウハチローや作家・佐藤愛子の父親である佐藤紅緑は大正から昭和にかけて大衆小説の当代随一の人気作家で、新聞に連載されると購買部数が伸び、それを劇化すれば必ず当たった。そんな彼に少年小説執筆を依頼したのは講談社『少年倶楽部』の加藤謙一編集長だった。当時、同誌は吉川英治『神州天馬俠』と大佛次郎『角兵衛獅子』という強力作品を擁していたが、ともに時代小説なので、違うものが欲しかったと加藤は自著『少年倶楽部時代』(1968年 講談社)で回想している。
しかし、紅緑からは「この俺にハナたれ小僧の読む小説を書けというのか」とどやされた。加藤は「恋愛小説を書く作家は掃いて捨てるほどいますが、だいじな子供のために一肌ぬいでくれそうな作家は一人も見当たらない。先生ならわかってくれると思ってきたが、そんなにご立腹では……」と立ちかけたら、「まあ待て」と引き止められた。すかさず、「先生はハナたれ小僧と言われるが、子どもは国の宝ですぞ。ハナたれ小僧がよくならないと国はよくならないのです」と反撃すると、「そうか、考えておこう」と言ってくれたという。
何日かして紅緑から電話があり、「題は決まった。『あゝ玉杯に花うけて』だよ」と告げてガチャン。こうして昭和2(1927)年5月号から連載が開始された。
主人公のチビ公こと青木千三は父を亡くし、母とともに伯父の豆腐屋に厄介になっている。小学校では一二を争うほどの成績だったが、中学に行かず、毎朝早くから前後に桶をぶら下げた天秤棒をかついで、浦和の町を豆腐を売りに歩く。その途中、中学に進んだ小学時代の同級生に出くわす。柔道を習っている乱暴者の阪井巌は、金も払わずに桶の豆腐をつかみ出して食べてしまう。けんかも強いが、父親が町の有力者であるのが力の背景にある。こんな奴ばかりではない。小学校で首席争いをした柳光一も浦和中学に入ったが、かつてのライバルに敬意を忘れず、千三の能力がうずもれてしまうことを案じる。
向学心を捨てきれない千三は中学のかわりに夜学の私塾に通い始める。ここの黙々先生は帝大出の官吏だったが、辞めて塾を開いたという名物男だ。月謝の決まりがなく、5円もあれば50銭もあり、米、豆、芋を持ってくる者もいた。生徒も工場通いの子、商家の丁稚、大工や左官の内弟子など、貧乏人の子どもばかりだが、前年には第一高等学校(旧制)に入学した青年もいた。日曜ごとに塾を訪ねる彼に触発され、千三も一高進学を夢見るようになる。
いっぽう、浦和中学では阪井巌の暴力事件が問題になり、退学させよという声が強くなった。この時に慈愛あふれる校長は「善良な羊は手を掛けずとも善良に育つが、悪い羊を善良にするのは羊飼いの義務ではありますまいか」と言って1週間の停学にとどめた。しかし、阪井は退学届を出し、彼の父親や政治家が暗躍して校長を転任させる。生徒たちは怒りにふるえ、暴動も起こりかねない様相となった。
ここにいたり、校長は全校生徒を講堂に集め、告別の辞を伝える。「諸君にして私を思う心あるなら、その美しき友情を次にきたるべき校長に捧げてくれたまえ……私を思うなら、静かに静かに私をこの地から去らしてくれたまえ、私も諸君を思えばこそ、この地を去るのだ」
紅緑の末娘の佐藤愛子によれば、柳光一は紅緑の理想とする少年像であり、阪井巌については時として彼の分身だったという。阪井は退学した後、自らの非を悔い、校長が去る日、こっそり浦和の停車場まで見送りに来て泣いていた。(つづく)
山田 洋
バックナンバー
新着ニュース
- エルメスの跡地はグッチ(2024年11月20日)
- 第31回さいたま太鼓エキスパート2024(2024年11月03日)
- 秋刀魚苦いかしょっぱいか(2024年11月08日)
- 突然の閉店に驚きの声 スイートバジル(2024年11月19日)
- すぐに遂落した玉木さんの質(2024年11月14日)
特別企画PR