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外交評論家 加瀬英明 論集
私は国防総省に、足繁く通った。ベトナム戦争中は、表玄関の外で迎えの車を待っていると、遠くアーリントンにある無名戦士の墓から、戦死者を埋葬するラッパの音が、風にのって、運ばれてきた。
ある冬の日に、表玄関の外に出たところ、数人の若い兵士が灌木に緑のスプレーを、忙しく吹きつけていた。
私がその一人にたずねると、外国から賓客が到着して、栄誉礼が行なわれるが、テレビ映りをよくするためだと、いった。私はアメリカにいるのだと、実感した。
ペンタゴンは建物が五角形をしていることから、通称となっているが、第二次大戦中にそれまでバラバラになっていた陸海空、海兵隊、統合参謀本部などの部門を、一つの屋根の下に集めるために、大戦後しばらくして、建設された。
大戦が終わった二年後の1947年に、軍の全部門を統括する閣僚として、国防長官が新しく設けられ、1949年に国防総省と呼称されるようになった。
ペンタゴンは、巨大な建物だ。五階建てだが、広大な敷地を占めている。長い廊下を歩いていると、両側の壁にアメリカが建国以来戦った戦場や、新旧の兵器の絵や、写真が飾られている。
私たち外来者は、エスコート・オフィサーなしになかを通ることができないから、迷うことがないが、処女としてペンタゴンの建物に入った娘が迷ってしまって、出てきた時に孕んでいたという、ジョークがあるほどである。
国防総省は世界の隅々まで、アメリカの軍事力のもとに置こうとしている。それに対して、ニューヨークのマンハッタンのウォール街が、アメリカの経済覇権を全世界に及ぼそうとしているが、経済版の国防総省といえよう。
1989年に、“ベルリンの壁”が崩壊して、その二年後に、ソ連が消滅した。
冷戦の勝利は、アメリカ国民によって、アメリカのユートピアの夢の正しさを証したものと、解釈された。
だが、アメリカは主敵であってきたソ連が、消滅したのにもかかわらず、武装を解かなかった。アメリカ軍の規模は縮小されることなく、アメリカ以外のすべての国々の国防費を足したよりも、大きな国防費を支出しつづけた。
第二次大戦が終わってから、歴代のアメリカ大統領は、トルーマン大統領からオバマ大統領に至るまで、アメリカが世界をつくり変える使命を持っていると、信じてきた。
アメリカが世界に比類のない国であって、つねに正しいという世界観が、アメリカ国民をとらえている。
今日のアメリカでは、「グローバル」という言葉が、ことさらに好まれている。「グローバル・ミッション(世界に対する使命)」とか、「グローバル・リスポンシビリティ(世界に対する責任)」「グローバル・リーダーシップ」などの言葉が、よく使われる。
「グローバル・パワー・プロジェクション」は、世界にわたって、アメリカ軍を展開していることを意味しているが、日本をはじめ全世界に駐留しているアメリカ軍は、まさに「ヒズボラ」(神の兵)なのだ。
グローバリズムは、神から授かった「マニフェスト・デスティニー」の別名である。
アメリカには、国歌である『星条旗』よりも、おとなから子供まで、時代を超えて、ひろく親しまれて歌われている愛国歌がある。
「アメリカ」という題で、1831年につくられた。
My country, ‘tis of thee,
Sweet land of liberty,
Of thee I sing:
Land where my father died
Land of the Pilgrims’ pride,
From every mountainside
Let freedom ring
(わが国はみんなの国
甘い自由が、みなぎる地
わたしは称える
父祖から受け継いだ国
巡礼者の誇りの地
すべての山々から
自由よ、鳴りわたれ)
アメリカは、イギリスから東海岸に渡った巡礼者たちが、建てた国なのだ。
もっとも、今日ではアメリカのユートピアイズムを、世界にひろめるために、教会の鐘の音にかわって、アメリカのエンターテインメント産業がつぎつぎと生みだす、ロックや、ポピュラーミュージックが、その役割を果たしている。世界のどこへ行っても、どこかで鳴っているから、逃れることができない。
アメリカはいつまで超大国でいられるか 第4章アメリカが目茶目茶にした中東の10年
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