トップページ ≫ 社会 ≫ 家康評価を変えたベストセラー誕生秘話
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地上波でもBSでも、日本の歴史、特に人物に焦点を当てたテレビ番組は多い。時代劇がほとんどなくなってしまったのとは対照的だ。そして、時代とともに歴史上の人物の評価が微妙に変化しているのがわかる。それは調査や研究の成果によるばかりではなく、歴史小説を書いた作者の視点によって影響されることも少なくない。
私の子供時代は、戦国武将では豊臣秀吉が一番人気だった。下層階級の出身ながら天下人にまでなった出世物語が大衆の共感を得たのだが、今では晩年の朝鮮出兵の愚や品性の欠落が強調されるようになった。徳川家康はもともと不人気だった。信長、秀吉亡き後、巧みに権力を奪取したのが狡猾と受け取られたためだが、皇室や公家を統制しようとしたのが、戦前の天皇中心の歴史観と相容れなかったことにもよるだろう。
そんな家康の評価を変えたのは山岡荘八(1907~1978)の大河小説『徳川家康』(講談社刊)だった。1953年から14年かかって全26巻が刊行され、今も文庫本になって版を重ね、累計で5000万部以上の超ベストセラーだ。長さについても世界最長の小説とされている。この『徳川家康』の編集担当だった原田裕さんが、講談社社友会の会報最新号で、出版にこぎつけるまでの裏話を語っている。
原田さんが雑誌編集部から異動して文芸課長になって間もなく、旧知の山岡さんから電話があって、「たまった原稿があるので読んでほしい」とのこと。7年前から資料集めをして、新聞連載を始めて3年になるそうだ。長谷川伸(1884~1963 昭和初期に劇作家として一連の股旅もので一世を風靡し、戦後は膨大な資料を駆使した歴史小説を発表)の門下生だった彼は手なれた創作技巧の持ち主だが、今度の原稿は世間で評判のよくない狸おやじの家康、企画会議をパスするのは難しい。どのようにして断ろうかと思い悩んだという。
後日、紐で綴じられた3年分の新聞の切り抜きを唐草模様の風呂敷に包んで持ってきた。家に持ち帰るには重いので、会社で読んでしまうことにした。仕事に区切りをつけて夕方から読み始めると、これがけっこう面白い。ほぼ1巻分の原稿を読み終えたら朝になっていた。次の日は近くの寿司屋でしっかり腹ごしらえしてから読み始め、やはり原稿に引き込まれて朝まで。山岡さんに断る気は失せ、4巻くらいなら出せるかなと思うようになった。
問題はこの原稿の良さを企画会議でどう伝えるかだ。コピーのない時代なので、口頭で説得することに腐心した。幸いにも販売担当者が推してくれ、社長以下会議出席者からも異論が出なかった。当時の社長が静岡出身だったので、家康に好意的だったのだろうと原田さんは結んでいる。
作者は家康だけではなく、信長、秀吉が主人公の長編小説を書いている。ほかにも歴史上の人物を描いた作品は数多く、それをまとめた『山岡荘八歴史文庫』は全100巻の編成だ。その中でも『徳川家康』はボリュームと売れ行きで群を抜く。売れ行きについては、途中から教訓的側面が加わり、それが折からの経営書ブームに乗り、経営者やサラリーマンに広く読まれるようになったという事情がある。その辺は作者も編集者も想定外だったのではあるまいか。
山田 洋
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