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コラム …男の珈琲タイム
父は帽子を愛でた。そしてきまってカバンを持った。牛革の光沢をおさえた茶色のそれ。
しかし、父が一番気に入っていたのは、ロンジンの懐中時計だったのかもしれない。ベスト(もっともチョッキといっていたが)の小さなポケットから渋い銀色の鎖をたらして、懐中時計はその名のごとく、父のふところの中で時を刻んでいた。
こう書いていくと、父は金持ちで、成金趣味の嫌味な男に映るが、真逆の人だった。
400年ぐらい続いた父の家は没落し、父は裸一貫で上京。あらゆる愁苦辛勤を味わい、苦学し、力行し、当時日本ではまったく珍しい上水道の設計・企画でそれなりに名を為したのだった。「いつの日にか!」という青雲の志が父を支えるダイナモとなった。
一方で父は、人間は潔く、格柄よく、紳士たるべしという自分なりの生き方を堅固にもっていた。だからこそ、帽子とカバンとロンジンは父の三種の神器となった。その神器をまとって、故郷に錦を飾るのが父の夢であり、激しい望郷の念を全うすることへの執念が夢を支えていた。
しかし、父は、志半ばにして逝った。それが父の運命だったのだろう。父は死の床で、私にうめくように言い遺した。
「もう少し、生きたかったな・・・・・ふる里の鹿島にも帰ってみたかった・・・・・でも、楽しかった・・・・・」父はそのまま瞑目した。
私は、父とずっと一緒にいて父の行動を休む間もなく見つづけてきた父の時計、ロンジンを父の棺に入れたかったが、やめた。
そのロンジンを息子である私がまた持ち続けることが、父の志を継ぐ最も大切な仕事であり、義務のように思えてならなかったからだ。
「亡き父の愛でしロンジンとこしえに 時刻みおり我が血液の上」という短歌を、後日私は作った。
先日、父の日にデパートの時計売り場に行くと、「お客さんのお持物はロンジンですね。ロンジンはね、日本人として最初に身につけたのは、西郷隆盛なんですよ」売り場のその方は、年配の方だった。
私の心は輝いた。辛苦、立志、望郷、明治人、政治家。言葉が音符のように、私の心で踊った。
父に会いたくなった。
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