トップページ ≫ 社会 ≫ 死の準備教育が必要 ~ 「あの世へ逝く力」出版記念講演会
社会
特に埼玉県、さいたま市の政治、経済などはじめ社会全般の出来事を迅速かつ分かりやすく提供。
つい先月のことである。麻生副総理が「90歳で老後心配、いつまで生きてるつもりだ」と発言し、高齢者への配慮が足りないと批判をあびたが、この人であればいつまで死をタブー視するのだと、批判する人たちを一喝するのではないだろうか。
その人物とは小林玖仁男氏。北浦和の国登録有形文化財「二木屋」の主人だ。自身が間質性肺炎を発病し余命2年半を宣告されると、死への覚悟を定める中で「あの世へ逝く力」(幻冬舎)を上梓した。
先日、著者による出版記念講演会が二木屋で行われた。冒頭、余命宣告を受けて覚悟を決めるまでの11日間を振り返るとともに、死を告げられた時にそれを克服するまでの5段階を披露した。まず最初の段階では、うそだ、自分は死ぬはずはないと「否認」する。次に、なぜ自分が死ななければいけないのかという「怒り」の段階。そして3段階は、神様なんとか助けて、お金はいくらかかってもいいから治してといった「取引」。その後4段階では、やる気がでず何もできなくなる「抑うつ」。これらを経て、最後の5段階で、あきらめて運命をさとり死を「受容」することになるという。
いまの日本は死をタブー視して死への準備教育をおこなっていないことが大きな問題だと、著者は主張する。人は100%死ぬにも関わらず、わからないから怖がってしまう。死を語るとき「ご不幸があった」「病に勝てなかった」という言い方をすることからも、社会が死をマイナスととらえていると指摘する。そのために病を克服することを強要され、苦しみに耐えられず自殺する病人も多いという。安楽死が認められているスイスでは、安楽死が可能となった患者の8割が自殺願望が弱まるということだ。病いと無理に闘わず、安らかに死に向かうことが大事なのだと。
そのためには死イコール不幸や敗北と考えるのではなく、死への準備をおこなって幸せな死を迎えるべきだと訴えている。特に遺影について触れていて、急な死を迎えたため集合写真を引き伸ばしたようなものが多いのが残念で、自分の一番いい写真を遺影にするためにも75歳を過ぎたら遺影を撮影しておくことを勧めている。またたった一度の葬儀だからこそ、自分好みの葬儀にするということも大事だと述べている。
著者の一貫した主張は、尊厳を持った命を全うするためには遅かれ早かれ迎える死ときちんと向き合うことだ、ということではないか。講演の中でも年間3500万円もするような抗がん剤の使用や高騰する国の医療費の問題などにも触れ、生きることのみ価値があり、死を語ることが不謹慎という風潮が原因だと語っていた。
本の中でもふれられていたが、黒澤明監督の映画「生きる」で志村喬演じる市役所の課長が、自分のガンを知り余命を知ることで、公園建設に力を注ぐことができた。まさに死を受け入れることによって、やるべきことが見えた生きざまを巨匠は浮き彫りにしたのだ。現代社会はあまりにも死を隠しすぎているということを改めて気づかされた。死を迎えるということがどういうことか考えるきっかけになる一冊である。
あの世へ逝く力 [ 小林玖仁男 ]
|
バックナンバー
新着ニュース
- 島耕作、50年目の慶事が台無しに(2024年11月24日)
- 第31回さいたま太鼓エキスパート2024(2024年11月03日)
- 突然の閉店に驚きの声 スイートバジル(2024年11月19日)
- すぐに遂落した玉木さんの質(2024年11月14日)
特別企画PR