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コラム …男の珈琲タイム
「別れる時は何も言わないほうがいい。何億年も前の沈黙の海へ静かにころげおちていくように別れていったほうがいい。あなたと別れた時もそうだった。ただ百舌だけが鋭角的に鳴きさけんでいたっけ。そして僕自身の中に長年はりつき、ひそんでいた何かにせめて、じっとグッバイとつぶやけばそれでいい。一つの終章はそんな形がいいのだ。
僕の中にかさぶたのようにはりついていた偽善の愛や責任、日本海にたれさがっている鉛のような義務。生きていくということはしらぬまに厚ぼったくなってきた。このかさぶたのようなものに何もいわないではがしていくことなのだ。かさぶたをはがした快感のむこうに愚かすぎるほどの楽天的なぼくが、雷にうたれた古木のように、まだいくばくかの生にむかって新しい枝を伸ばそうとしている。そして今、地球の片すみでは黙っていても梅雨が明けようとして笑いをこらえている。まぶしい真夏が燃えるような手を差しのべようとしているのだ」
私は今、この長文の散文詩をよんでいる。この散文詩は何の前ふりもなく、手紙として送られてきたのだ。送り主はしばらく会わなかった私の尊敬する友からのものだった。この男は勇ましい男だった。事にあたる時は全て自分を超え、自己犠牲に耐えて戦ってきた男だった。
強烈な使命感がこの男のダイナモだった。若き日のこの男の舌峰は鋭く、青みがかった赤い炎となって相手の五感に入りこんでいった。
負けじ魂ということを私はこの男から学びながら今日まで生きてきたのだ。それだけに私は一瞬、私の眼を疑った。この男は、いつのまにこんな散文詩のような心境の中に生を営んできたのだろうか。そういえば昔からこの男は「脱皮せざる蛇は亡びる」というニーチェの言葉をモットーとしていたのだ。あの岩をもくだく激しく清らかな急流の化身のような男。その男が今、すべてのものを黙って抱きすくめて悠々として音もなく動いていく大河となっている。私は底知れぬ感慨と哀愁と同時に、この男のダンディズムこそ、私が学んでいかなければならないものなのだと自分自身に言いきかせながら、私の手を地球儀におき、ゆったりとその球形をまわしている。
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