トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 『タイム』誌が無知を曝け出した安倍首相特集記事
外交評論家 加瀬英明 論集
「ミラー・イメージ」は、私たちが中国人も、西洋人も、私たちと変わらないと、誤まってみなすかたわら、中国人や、西洋人も、日本人が自分たちと変わらないと信じる、諸刃の剣となっている。
私が海外で要人や、研究所の幹部や、ジャーナリストと話す時に苦労することは、先方が「日本人も同じ人間だから、変わらないはずだ」と、思っていることである。
この「ミラー・イメージ」が、日米関係や、日中関係の大きな障害となっている。
日本は世界のなかで文化が、他の諸国と大きく異なっている。
日本がきわめて独特な文化を持っているために、外国人にとって日本を理解するのが、難しい。
「ミラー・イメージ」のよい例が、アメリカの有力週刊誌『タイム』(2014年4月28日号)が、安倍首相を表紙の人として取りあげた特集記事だった。
日本の首相が、“表紙の人”になるのは、久し振りのことだった。
私はふだん、アメリカのニュース雑誌を読まないことにしているが、安倍首相が大きく取り上げられていたので、手に取った。
アメリカのニュース雑誌は、『ニューズウィーク』(一時廃刊してデジタル版のみ発行していたが、最近US版のみ、紙版を復刊した)もそうだったが、アメリカ英語だから、生真面目で、押し付けがましいために、肩が凝ってしまうので、必要がないかぎり、敬遠してきた。
アメリカは、宗教によってつくられた国だから、アメリカ人は自説を説くのが、好きだ。そこで、ゆとりや、ユーモアを欠くことになる。
表紙の安倍首相の顔のわきに、「ザ・ペイトリオット(愛国者)」と書かれて、「シンゾウ・アベは、自己主張ができる、強い日本をつくることを夢見ている。それが、どうして、多くの人々を不安にさせるのか」と、刷り込まれている。
愛国者は「パトリオット」とも、発音する。アメリカが自慢する地対空ミサイルの名にもなっているから、よい言葉となっている。アメリカ独立戦争を戦った人々が、ペイトリオットだ。
「ナショナリスト」になると、世界の隅々までアメリカ化しようとする、グローバリゼーションの前に立ちはだかるから、もっぱら悪い意味で用いられている。
どうせ、日本について、まったく無知な記者が書いているのだろう、と思って、読み始めたが、やはり思った通りだった。
こういう記者は、自分が日本とアジアについて十分に勉強しているものと思い込んでいるから、質が悪い。
記事は、「数千人のシントー・ウォシッパーズ(神道の信徒たち)」が、「桜の花びらが、吹雪のように散るなかを社頭」へ向けて、「祈りを捧げる」ために、途切れなく進んでゆくところから、始まっている。
記者はこの光景を、一神教の信者の狭窄症を患った目を通して見ているが、靖国神社の参詣者は、神道の信徒に限らない。それに、日本語には「神道の信徒」という表現は存在しない。
参詣者は、仏教徒、キリスト教徒、他の宗派の者、新興宗教の信者、ことさら宗教心がない人々といったように、さまざまである。それに、日本に神道だけを信仰している者が、ごくわずかしかいないことも、知らない。
日本語には、明治に入るまで、「宗教」という言葉が存在していなかった。宗門、宗旨、宗派という言葉しかなかった。
キリスト教は、他宗を真理から逸脱している邪教としか、みなしてこなかった。日本にとって異質で、独り善がりなキリスト教が入ってきたために、必要に迫られて、新しい翻訳語が造られたのだった。
ワシントンのポトマック河畔にひろがる、アーリントン国立墓地には、ケネディ大統領の墓碑を訪れる観光客の姿はあっても、いつも閑散としている。
イギリスや、ヨーロッパ大陸の戦没者墓苑もひっそりして、いつだって人影がない。靖国神社のように、常時、善男善女によって、縁日のように賑わっていない。
記者は「祈る」と書いているが、神道にはユダヤ・キリスト・イスラム教のように、前もって定められた、長い祈祷文が存在していない。
神前で二礼二拍手一礼したうえで、念じるだけのことだから、祈るよりも、それぞれの人が感謝の言葉であれ、願いごとであれ、心のなかで思い浮かべるものだ。
どうして、靖国神社は善男善女によって、いつも、賑わっているのだろうか。
それは、日本国民の大多数が、明治以後、日本の独立を全うするために、先人たちが歯をくいしばって戦わねばならなかったことをよく知っており、生命を捧げた英霊に感謝しようという、ごく自然な情が共有されているからだ。
『タイム』の記事は、このすぐあとで、参詣者の列のすぐわきに、「日本が、ついこのあいだまでアジア中を荒らしまわった帝国主義征服を称え、正当化する展示が行なわれている博物館がある」と述べて、境内にある展示施設である「遊就館」を、取り上げている。
そして、この施設では「真珠湾攻撃は、アメリカが日本の不当な要求を、受け入れなかったことから、行なわれたと説明されており」、「日本将兵が犯した、さまざまな残虐行為を、すべて末消している」と、解説している。
日本軍は先の大戦で、アメリカ、ヨーロッパのアジアにあった植民地に進攻したのだから、アジアを侵略したわけではなかった。支那事変も、帝国主義征服に駆られて行なわれたのでは、まったくなかった。
支那事変は、日本が蒋介石政権と中国共産党によって挑発されて、まったく意に反して、果てしない中国大陸にのめり込んでいったのであって、侵略することを目的としたのではなかった。
記者は「遊就館」が支那事変を、「事変」と呼んでいることを、嘲笑している。だが、蒋介石政権も、ルーズベルト政権も、宣戦布告による正規の戦争とすることを、まったく望んでいなかった。
アメリカは、蒋介石政権に日本と戦わせるために、国際法の重大な違反だが、正規軍人であるアメリカ陸軍のパイロットを、「義勇兵」として偽装して、派兵していたのを含めて、軍用機をはじめ、厖大な量にのぼる援助を供与していた。
もし、事変ではなく、正規の戦争となると、アメリカは中立法を制定していたから、国内法によって、このような援助を行なうことができなかったからだった。だから、事変と呼んだほうが、都合がよかった。
ヨーロッパとアメリカの歴史は、帝国主義征服の長い歴史であってきた。
アメリカは建国以来、先住民の民族絶滅を進め、西へ西へと国土を拡げ、さらに太平洋を渡って、ハワイ、フィリピンを奪取した。
清教徒が北アメリカに上陸した時には、アメリカの歴史学者によって、先住民が300万人から400万人いたと推定されているが、1890年代には15万人にまで、減っていた。
私たち日本人を、自分たちと変わらない、非道な民だと、思ってほしくない。
日本は歴史を通じて、秀吉が明国を征服しようとして、文禄・慶長の役を起こして、朝鮮に出兵したのを例外とすれば、一度も帝国主義征服を行なったことがなかった。そして、大虐殺を働いたこともない。
日本は歴史を通じて、奴隷が存在しなかった。奴隷という言葉も、日本語のなかに明治に入ってから、はじめて定着したものだった。
私は明治25(1892)年に刊行された、分厚い『雙解英和大辭典』(共益商社)を、古本屋で求めて、私蔵している。
Slaveをひいてみると、「奴隷、他人ノ儘ニ成ル抵抗ノ権力ナキ人、囚奴、奴僕、臣僕」と回りくどく、説明されている。まだ、日常の言葉のなかに、仲間入りしていなかったのだ。
『タイム』の記事は、「それまで6人の首相が、処刑された最高の戦犯を祀っている靖国神社を詣でれば、彼らの犯罪の犠牲となったアジア諸国から、怒りを招くことに配慮して、足を向けなかったのにもかかわらず」、安倍首相が前年の12月26日に参拝したために、「かつて日本の膨張政策によって、もっとも甚大な被害を蒙った、二つの国である、中国と南朝鮮から、激しい非難を受けた」と、述べている。
記者は講和条約によって、日本が独立を回復した直後に、日本の国会が、戦傷病者戦没者遺族等援護法を全会一致によって改正して、いわゆる戦犯裁判によって法務死した殉難者全員を、戦死者とみなして、遺族年金を支給するように改めたことを、知らないのだ。
日本は国家として、戦犯が存在することを、認めていないのだ。
中国は、戦後、昭和60(1985)年まで、昭和天皇をはじめとして、歴代の多くの首相が靖国神社に詣でたのにもかかわらず、一度として不満を洩らすことがなかった。
記者は、韓国が日本の「膨張政策」によって、甚大な被害を蒙ったと、戯言を抜かしているが、ここでも無知を曝け出している。
もし、日本が韓国を統治することがなかったら、今日の韓国の発展はありえなかった。日本による台湾と朝鮮統治は、当時、アメリカも含めて、国際的に高く評価されていた。
もし、日本が日清戦争に勝って、李朝の朝鮮を独立させることがなかったとしたら、韓国は中国の属国であり続けただろう。日本が日露戦争に敗れていたとすれば、ロシアによって、支配されていただろう。
中国から独立することが、できなかったとしたら、今日、韓国経済は中国が東北部と呼んでいる満州と、同じ水準にあったはずだ。ロシアの支配下に置かれていたら、1990年代までソ連に組み込まれていた、中央アジア諸国の水準にあったことだろう。
台湾も、もし日清戦争後に日本に割譲されていなかったとすれば、開発の程度が、海南島と同じ水準に、とどまっていたはずである。
私はこの4ページにわたっている記事の出だしだけ、量にして全体の10分の1あまりだけ目を通したが、あまりにも愚かしいので、先を読むのをやめた。
村山富市首相談話と、河野官房長官談話の罪は重い。
日本人たる者が、日本を貶める発言をするようなことは、アメリカによる占領を蒙るまでは、ありえなかったことだった。
これは、日本の名誉の問題にとどまらない。
日本は国家の大本である国防を、アメリカに丸投げにして、ひたすら経済的快楽に耽ってきた。
もし、世界に日本が非道な国だというイメージが、ひろまることがあったら、万一、日本が危機に陥ることがあった場合に、諸国が日本に救援の手を差し伸べることがないだろう。
これは、日本の生存にかかわる、由々しい問題だ。今からでも遅くない。政府はもちろん、全国民が一丸となって、日本の正しい姿を世界に伝えるために、力を尽くさなければなるまい。
中国と韓国は、日本を嫌って、日本の名誉を傷つけることに、血道をあげている。
もし、日本が嫌悪すべき、爪弾きの国だというイメージが、全世界に定着することがあったら、どの国も日本を援けようとしまい。これは、安全保障の問題である。
このための活動に、防衛費のごく一部に当たる金額を、割くべきだ。
日本は、これまで中国と韓国に、数兆円を貢いできた。その0.1%だけでもあてれば、よいはずである。
第6章 日本は、なぜ誤解され続けるのか
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