トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 日本の平和をもたらした最大要因は何か
外交評論家 加瀬英明 論集
オバマ大統領が、2014年4月に来京した。
大統領専用機の『エアフォース・ワン』の扉に、アメリカ合衆国の紋章が描かれていた。鷲が頭を右に向けて、右の鉤爪でオリーブの枝を、左の爪で矢束を握っている。
いつか、私がホワイトハウスに招かれた時に、大統領の紋章が話題になったことがあった。
トルーマン政権までは、鷲の頭が左を向いていたが、右を向くように、改められた。これは、鷲の頭が左を向いていると、左翼に加担しているような誤解を招くからではなく、ヨーロッパ紋章学の専門家から、鷲の頭は右向きが正しいと、指摘されたからだった。
第二次大戦が終わった翌年の1946年3月に、チャーチル首相がトルーマン大統領の生まれ故郷のミズーリ州を、訪れた。
この時、トルーマンがチャーチルに、改められたばかりの大統領紋章について説明して、鷲が平和の象徴である、オリーブの枝のほうを向いているから、「これからは、平和の時代が続くことになるでしょう」と、言った。
すると、チャーチルがオリーブの枝に、小さな実が5、6個ついていることに気付いて、「この原爆があれば、平和が守られるでしょう」といって、いたずらっぽく笑った。チャーチルは、機智に富んでいた。
この時、チャーチルがミズーリ州フルトンで、「東ヨーロッパに“鉄のカーテン”が降りた」と演説したために、「鉄のカーテン」という造語が、世界に定着した。
どのような国家も、生存するためには、この鷲の紋章のように、一方の手でオリーブの枝を、もう一方の手で矢を握っていなければならない。
いままで、人類の史上で軍備を捨てて、諸外国の国民の善意だけを頼って、生き延びた国は、一つもない。もし、日本のように軍備を真面目に整えようとする気概がなければ、力のある外国の属国とならなければならない。
戦後の日本の“平和ボケ”と、平和憲法体制は、アメリカの軍事力による保護なしに成り立たなかったから、アメリカによる保護と、一対のものだった。平和憲法を盾として頼んできた人々は、「諸国民の公正と信義に信頼」するかわりに、アメリカが日本の占領を続けてきた軍事力を、ひたすら信頼してきたのだった。
日本は占領時代が終わると、外見は独立を回復したものの、アメリカによる保護に依存して、国民が自立心を取り戻すことがなかった。
第二次大戦が終わっても、もし、日本のまわりが平和だったとすれば、“平和ボケ”になったとしても、理解できる。だが、すぐに、ソ連が脅威を及ぼすようになった。日本国民は、日本の周辺地域が平和だったことがなかったのに、アメリカの保護のおかげを蒙って、平和を享受することができたために、“保護ボケ”を患ってきたのだった。
日本の現憲法が、世界で唯一の平和憲法なのかといえば、そのようなことはない。イタリア、アゼルバイジャン、エクアドルの憲法にも、日本国憲法の「戦争放棄」と同じ条項があるが、三カ国の憲法は軍隊の保有とともに、徴兵制を定めている。
この三カ国に加えて、世界諸国の80%近くに当たる155カ国の憲法が、侵略戦争を禁じているかたわら、自衛戦争を肯定している。
アメリカはいつまで超大国でいられるか 第6章日本は、なぜ誤解され続けるのか
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