トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 「集団的自衛権の行使」をめぐる議論の虚妄
外交評論家 加瀬英明 論集
安倍首相が、集団的自衛権の行使を禁じてきた憲法解釈を改めるために、先頭に立って努力したが、与党の公明党や、野党の一部が強く抵抗した。もっとも、公明党は抵抗するふりをしただけのことだったのだろう。
反対する人々のなかに、内閣が状況に合わせて、憲法解釈をくるくると変えるのは、憲法の最高法規性を損なうという意見もあったが、国家も、憲法も、骨董品ではあるまい。国家も、憲法も生き物だから、外的な環境に適応しなければなるまい。
政府が、国家として集団的自衛権を行使する権利はあるが、違憲であるという解釈を行なったのは、ごく最近のことでしかない。昭和56(1981)年のことだったが、日本の安全保障とかかわりなく、野党との政治取り引きのために、行われたものだった。
集団的自衛権の行使について、憲法解釈を緩和するのをめぐって紛糾しているが、日本が成熟した国だと、とうてい思えない。
国連憲章五十一条は、それぞれの加盟国が、「個別的又は集団的自衛権の固有の権利」を持っていることを、認めている。
日本政府は戦後一貫して、憲法第九条のもとで、自衛権の行使が許容されているという見解をとってきた。
国連憲章によれば、個別的自衛権と集団的自衛権は一体で、不可分のものである。今日の世界では、独立国が自分の力だけで、自国を守ることはできない。日米安保体制も、その一つだ。
集団的自衛権の行使を禁じている憲法解釈を変えることに、反対している人々は、もし、改めたら、日本が再び戦争を仕掛ける国になってしまうと、批判している。日本はそんなに、危険な国なのだろうか。
日本では、国民が政府を選ぶ。集団的自衛権の行使を認めてしまうと、戦争を仕掛ける国になってしまうというのは、国民を信頼していないことを前提としているから、国民を侮辱するものだ。
それよりも、いま、日本が戦争を吹っかけようとしている国によって、脅かされているという現実に、なぜ、目を向けようとしないのだろうか。
日本を脅かしている国の指導層の見方を、とるべきではない。このような時に、自国の手足を縛る議論にうつつを抜かしていて、よいのか。
日本が侵略を蒙って、大きな人的・物的な被害を蒙ることがあったら、憲法も、平和主義もあったものではない。憲法は憲法を守るためではなく、平和を守るために存在しているべきものだ。
中国の発表によれば、同国は2014年に国防費を12.2%も増やした。前年の10.7%を上回っている。力によって他国を従わせようとする国に対しては、力によって対抗するほかない。
私は先述したように、アメリカが南ベトナムを見捨てて、南ベトナムの首都だったサイゴンが陥落した直後に、『文藝春秋』に次のように寄稿した。
「戦後、日本ではアメリカによって安全が守られていることが、習性となってしまった。
左翼が主張してきた非武装中立論も、安保体制の殻によって、しっかりと守られてきたからこそ、多くの国民の心を捉えてきた。
しかし、一国が非武装ではいられない。独立国である以上、国家の将来の安全まで、外国の手に完全に委ねることは、許されない。自らの手で自国の独立と、平和を守る用意をしておく。これが、独立国の条件である。(中略)
日本は1950年のサンフランシスコ講和条約によって、独立を回復してから、安全保障問題を軽くしかみてこなかった。そして、真剣に取り組んだことは、一度もない。(中略)
日本では歴代の内閣によって『防衛力の整備』の強化が、防衛政策の基調となった。特に佐藤内閣になって、佐藤首相が『自由を守り、平和に徹する』ということを唱え、『国を守る決意』を持つようにしばしば説いたが、これは国民に訴えるよりも、アメリカへ向けたものであった。
自主防衛力の強化にしても、外敵に備えたものであるよりは、アメリカに対して、アメリカを満足させるために行われてきたものである。
しかし、『自由を守り、平和に徹する』とはいうものの、『非武装中立』『安保反対』のスローガンと同じように、いったいどのようなことを意味しているのか、具体論を欠いていたので、空疎なものでしかなかった。
政府も、反対派である左翼も、ただ互にスローガンを投げあって、『国を守る決意』に対して、『軍国主義復活反対』といったように、善悪の問題として捉えられ、きわめて心情的な手段でしか、安全保障問題を扱ってこなかった。
日本は外形的に独立しても、安保条約のもとに、アメリカの精神的占領が続いているのである」
サイゴンが陥落してから、39年がたった。
それなのに、今日でも、政府は日米同盟を維持するために、集団的自衛権の解釈を改めねばならないといい、反対派は憲法解釈を改めたら「戦争を招く」と、叫んでいる。
私は国会や、マスコミの場で、集団的自衛権の憲法解釈を改めることをめぐって、空しい論争が繰りひろげられたのに、落胆させられた。私は39年もの長いあいだ昏睡状態にあって、目を覚ましたところ、何一つ変わりがなかったかのように、感じた。
日本国内の安全保障をめぐる状況に、まったく変わりがないことに、慨嘆しなければならない。
公明党の山口那津男代表が、集団的自衛権の解釈を見直すことに反対して、「個別的自衛権があれば、足りる」と主張したが、防衛問題についてまったく、不勉強だった。防衛問題について、口を開く資格がなかった。
私は公明党の山口代表に、個別的自衛権の中身について、即刻、検討をはじめるように提唱することをすすめたい。
アメリカはいつまで超大国でいられるか 第6章日本は、なぜ誤解され続けるのか
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