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プロ野球の12球団で最も長く優勝と縁がなかった広島東洋カープが25年ぶりにセ・リーグ優勝をはたした。毎年、鯉のぼりの季節までは好調なものの、以後ズルズルと下降線をたどるというパターンだったが、今年は違った。6月初旬に首位に返り咲くと、他チームをどんどん引き離していった。9月10日、東京ドームでの巨人戦で優勝を決めるや、黒田投手や新井選手が男泣きしているのを見て、41年前の1975年10月15日の広島初優勝のシーンがオーバーラップした。
当時、週刊誌編集部員だった私は、野球担当ではなかったが、広島初優勝の場面が見たくて、取材チームに加えてもらった。広島が勝って優勝したら、祝賀パーティーがあるはずだから、そこでの取材を手伝うことという条件付きだった。
ドーム球場になる前の後楽園球場でのデーゲーム。エース外木場の力投もあって8回まで1ー0で広島のリードという緊迫した試合展開だった。9回表に広島の助っ人外人ホプキンスが3ランを打つと、ムードは一変、応援も一段とヒートアップ。その裏の巨人の攻撃を救援投手が抑え、広島優勝、球場は興奮のるつぼと化した。お立ち台に上がった主砲の山本浩二は感極まって言葉が続かなかった。
球場ではただの観客だった私も、両国のホテルでの祝賀会では仕事をしなくてはならない。でも、個々の選手にあらたまってインタビューする必要はなかった。優勝の喜びで高揚した選手たちは口数が多くなっていた。山本浩二とともに主力打者だった鉄人・衣笠は冗談を交えて早口でしゃべっていた。
変なアクセントで「♪私バカよね~」と細川たかしのデビュー曲を歌っていたのはもう1人の助っ人外人シェーンだった。明るくて人懐っこい彼だが、確かにこの日の試合ではいいところがなかったので、自虐的に歌っていたのか。この歌は同じ年の大ヒット曲だった。そんな中で、感慨深そうに物静かに語っていたのは、数年前まで4番打者だった山本一義。彼にとってはこの年が最後のシーズンだった。
この祝賀会でも選手たちのビールかけが行われた。はしゃいだ選手たちはビンを激しく揺すって勢いよく泡を飛ばし、こちらにも降りかかる。取材者はビールを飲むこともできないうえに、とんだとばっちりだ。服に染み込んだビールの臭いには閉口して、以後、テレビでビールかけのシーンを見ると、その臭いを思い出す。
75年も今年も、広島が優勝を決めた試合は巨人戦で、場所も巨人のホームグラウンドだ。75年の巨人は長嶋監督の就任1年目、今年は高橋監督の1年目。金持ち球団の巨人に対して、広島は1950年のスタート以来、親会社を持たず、お金にはいつも苦労してきた。そんなチームの意地が、くしくも節目の優勝を巨人戦で決めることにつながったのかもしれない。
アンチ巨人派にとっては溜飲が下がる思いだろうが、巨人軍そして親会社の読売新聞社には由々しきことに違いない。チームの不振、不祥事が新聞の購読者減に直結するので、それを挽回すべく販売攻勢が激化しているようだ。私の近親者も、販売員の度重なる訪問と景品作戦に根負けして購読契約をしてしまった。そして来季に向け、金に糸目をつけない大幅な選手補強に取り組むだろう。広島にもさらなる努力を期待したい。
山田 洋
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