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社会
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今年も残りわずかだが、私にとって11年前の2005年大晦日は忘れられない。NHK『紅白歌合戦』には飽きていたので、当時人気絶頂だった総合格闘技K-1の中継にチャンネルを変えたら、リングに見覚えのある選手が登場した。この時より7、8年前、私が世話役をしていた東京江東区東陽町のYMCAボクシングクラブに入っていた地元の若者だったのだ。
プロ養成のジムではなく、幅広い年齢層のクラブだったが、彼がスパーリングやサンドバッグをたたいているのを見た記憶はない。何か考え事をしているようで、ある日、私に「総合格闘技のほうに進もうかと思っているんですが」と話しかけてきた。参考意見を求めているようだったが、私は適切な答えを出せなかった。
ボクシングやプロレスならいろいろ縁があったが、新興の総合格闘技については知識不足だった。彼はボクシングならライト級あたりの体格だったが、当時の総合格闘技は重量級中心だったのも気になった。だが、若者の進路について無責任な発言は慎んだ。それから程なくして彼は「総合格闘技に行くことにしました。明日、試験なんです」と言って去って行った。
その後、総合格闘技という言葉を聞くと、あの若者はどうしたかなと思った。入会時に本人が書いた「須藤元気」という名前と眼光鋭く、いかつい風貌は忘れることがなかった。テレビ画面にその須藤君がいる! 私が知らないうちに格闘技者として頭角をあらわしてきたらしい。
この日の相手は父、姉、妹が一流のレスリング選手だった山本“KID”徳郁。しかし、見せ場を作れないまま1ラウンドKO負けしてしまった。見ていた私までもがKOパンチを食らったような気分で年越しとなった。そのショックで翌年大晦日のK―1番組は見なかったが、この時は1ラウンドに三角絞めで勝利し、試合後、リング上で引退宣言をした。
その頃から彼は毎日書道展で入選したり、役者をやったり、活動をリング外に広げていた。2008年には母校の拓殖大学のレスリング部監督になった。翌年、東日本学生リーグ戦で優勝監督になり、その後、日本代表監督に推され、海外の試合を引率した。監督業と並行して、作家、タレント、ミュージシャンと多面的に才能を発揮。テレビCMにも出演して得意のダンスを披露している。
驚いたのは著書の数の多さだ。元格闘技者の本というと、努力、根性、血と汗などの語を思い浮かべがちだが、その手のものとは違う。彼が今まで経験して身につけた考えを素直に表現している。ジョーク混じりの文章は楽しく読める。
いろいろ思い悩むタイプだが、反面、行動力は抜群だ。大学卒業後、格闘技修業のためにアメリカに渡ったり、カストロと共にキューバ革命を指導したチェ・ゲバラの本に触発され、友を誘ってゲバラを生んだ南米大陸を旅したり。自分のことを書いても自慢話にはしない。自分の弱い部分にも目を背けず、なおかつ常にポジティブにとらえようとする。そういうところに悩める若者たちが共鳴するのかもしれない。
そんな彼でもK―1の問題点はズバリ指摘している。たとえば、看板選手を勝たせるために不可解な判定がまかり通っていたことだ。そして私が見た山本“KID”戦については、「勝てる」という気持ちからリラックスし、試合前のマッサージで寝入ってしまい、寝起きの状態で戦ったのが敗因だと打ち明ける。彼も敗戦ショックで最悪の正月三が日になったという。
山田 洋
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