トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 「オカゲサマデ」ということば
外交評論家 加瀬英明 論集
ジョンは日本語を、毎日、勉強していた。自分で日本語の厚い教科書をつくって、学んでいた。
線画が上手だったジョンは、「お仕着せの教科書は、つまらないからね」といって、画用紙帳のページごとに、日本語をローマ字で書いて、それぞれの状況に合わせて、ユーモアあふれる絵を描いていた。
私がページごとに楽しんだうえで誉めると、つぎに会った時に、製本屋に頼んだといって、黒い革表紙をつけて贈ってくれた。
開くと、”For Hide(ヒデへ)From your cousin John(あなたの従弟のジョンより)”と、記されていた。
ジョンは口癖のように、『okagesamade(オカゲサマデ)』という言葉が、「世界のなかで、もっとも美しい」と、いっていた。
日本では、人が自分一人の力によらずに、神仏や、祖先や、自然や、あらゆる人々である世間のお蔭を蒙って生きていると、考えられた。
ついこのあいだまで、日本では世間体が人にとって、何よりも大事だった。日本人にとって世間というと、天と同じような存在だった。
世間をまるで神であるように畏れて、敬ったのだった。ユダヤ・キリスト・イスラム教のように、神が人のうえに存在することを想定するのではなく、社会が天だった。
私はジョンに、日本では同じ人である隣人たちを神としているといった。ジョンは目を輝かせて、聞いてくれた。
世間体は、「世間態」とも書いた。世間体は世間に対する面目で、世間の人々に対する対面であり、社会の規範に合わせて生きることが期待された。そのように努めることによって、自分をよいものに見せようと努めた。
日本ではこのように人間関係が、徳目を支えていた。もし、社会規範に背くことがあったら、「世間体が悪い」といって、自分だけではなく、一族ぐるみで恥じた。
「世間を狭くする」とか、「肩身が狭い」というと、世間の信頼を失うことを意味したから、そうなったら、胸を張って生きることができなかった。このような規範が、人々の背筋が通った生きざまをつくっていた。
世間を神様のように、「世間様」といって崇めた。いまでも、そう意識することなく、「世間様」という言葉がごく普通に使われている。
人々は、名誉心が強かった。社会の信頼を裏切ることがあってはならなかった。だから自制心が強く、義理固く、利己心よりも利他心が優っていた。
いまでは名誉というと、肩書や賞状や、勲章のように、外から付随するものだと考えられているが、あのころは自分のなかから、発するものだった。外から与えられるものは、本当の自分のものではない。
いまの日本では、共同体の意識が弱まってしまったために、人間関係が駆け引きであるとみられるようになって、世間体という言葉がなくなった。社会が神でなくなってしまった。
まだ、半世紀にならないというのに、日本は何と大きく変わったことだろうか。
そういえば、「個人」「個性」という言葉も、明治以前には、日本語になかった。
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