トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 鶴田浩二の演歌の世界
外交評論家 加瀬英明 論集
私は演歌に親しんだ世代の尻尾のほうに、属している。
演歌はついこのあいだまでは、日本の男と女たちにとって、溜め息のようなものだった。日本のどこへ行っても、演歌の心が空気のなかに、まるで微粒子のように、飛びかっていた。
昭和46年(1971)年といえば、いまから40年前でしかない。
この年に、鶴田浩二が歌った『男』という演歌が、ヒットした。
前奏が始まる前に、独白がある。
子供の頃、阿母に、よく言われました。
『お前、大きくなったらなんになる、
なんになろうと構わないが、
世間様に笑われないような
良い道を見つけて歩いておくれ』って……
それが、胸に突き刺さるのでございます。
そのうえで、
〽自分の道は 自分で探す
躓きよろけた その時は
見つけた道の 溜り水
はねる瞼に 忍の字を
書いて涙をくいとめるのさ
という、歌が始まる。
このような祖母は、日本中、どこにでもいた。いまでもこの歌をカラオケで、青春時代を懐かしんで歌う人が、少なくない。
私はこの歌を聴くたびに、歌の上手下手にかかわらずに、感動する。私たちはそのように意識することがなくても、瞼にそっと忍の字を書いて、譲り合って生きているのだ。
私たちは、神や仏だけでなく、親や、上司や、特定の人々による引き立てだけでなく、世間のお蔭をこうむって、生きているのだ。だから、日本人はあたかも神のように、世間を畏れて敬った。
いまでも、改まった席では、若者まで含めて、「……紹介させていただきます」とか、「参加させていただきました」「つくらせていただきました」「過ごさせていただきました」と、「……させていただきます」を連発する。これは、外国語にはない表現である。
自分の力だけではなく、そのように世間に「させていただいた」ことに、胸のなかで感謝しているのだ。
世間を天としている文化は、日本だけである。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか 一章 ジョンが何よりも愛した日本語のことば
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