トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 「しながわ百景」に選ばれた鯨塚
外交評論家 加瀬英明 論集
ヨーコ(洋子)に、八歳下の妹のセツコ(節子)がいる。
節子はスイスに留学して、博士号を取得した。ワシントンに本部を置く世界銀行の日本人の幹部職員は、ふつう日本政府の推薦によって登用されるが、節子は自分の力で、世界銀行の幹部として採用されて、28年勤めた。
退職後は、ワシントンを本拠として、彫刻家、画家となって、国際的に高い評価を受けている。日本は、女性の国でもある。多分に女性の力によって、盛り立てられてきた文化なのだ。
節子はこのところ夏になると、上智大学の夏期講座に、国際金融論の講師として招かれて、来日する。私の家が上智大学のすぐ近くにあることから、節子を囲んで、私の母方の従兄弟や従姉妹を集めて、会を催している。
この三月に、品川駅の南の海寄りに、芝浦シヤリングが高層ビルをつくって竣工したが、節子が創作した高さが五メートルほどの彫刻が建っている。
豊かな海のなかをイメージした作品である。二つの鉄製の黒い丸い輪が重なって、輪のなかに金色のさまざまな魚や、エビ、蛸、イカ、竜の落とし子や、ドルフィンなどが遊んでいる。大胆ななかに、繊細さがある。
造形美しいだけではない。ぐるっとまわって、四方八方の角度から、ゆっくりと観ると、海のなかの生き物といっしょに遊んでいるような気持になって、心を楽しませてくれる。
節子が芝浦シヤリングの埼玉県の工場に、一か月籠って、鉄板を溶接してつくった大作だ。
このビルは、港区港南一丁目にある。品川の一部のようなものだ。品川区が”しながわ百景”を選定しているが、ぜひ百一景目に選んでほしいものだ。
その節子の彫刻から歩いて、12、3分ほどのところの品川区の東品川一丁目に、自然石を用いた鯨塚がある。
この鯨塚は「しながわ百景」の一つに、選ばれている。そのわきに、鯨塚も建っている。
寛政10(1798)年に、巨大な鯨が品川沖に迷い込み、漁師たちが総出で舟を出して、追い込み漁によって、捕獲した。その鯨の供養碑である。江戸(東京)湾に鯨が入ってくるのは、珍しいことだった。
碑文を読むと、鯨の体調は九間一尺(約一六・五メートル)で、高さが六尺八寸(約二メートル)もあった。鯨塚の前には、水を供える石の器もある。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか 二章 鯨を供養する日本人の心性
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