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外交評論家 加瀬英明 論集
日本では、人が自然よりも上にいるとは考えない。自然に対して、傲(おご)ることがない。
鯨塚のほかにも、鯨墓、鯨魂碑、鯨供養碑や鯨卒塔婆、鯨供養五重塔が、全国に点在している。
東京都の三宅島には、天保3(1832)年に島が飢饉に見舞われた時、流れ着いた鯨が島民を飢餓から救ったことに感謝して、建てられた鯨神社がある。
山口県長門市の海に面した海雲山般若院向岸寺では、延宝7(1679)年に鯨回向(えこう)法要をはじめて行なった。回向は供養を行なって、死者の成仏を祈ることである。
向岸寺では元禄時代(1688年~1704年)から明治まで、捕獲した鯨一頭一頭に戒名を贈って、その位牌を祀っている。
捕えた雌鯨が宿していた胎児を、手厚く葬った鯨墓もある。これらの鯨墓は、文化財となっている。
金子みすゞといえば、童謡詩人として知られている。みすゞの詩には、日本人の感性がいっぱいに表わされている。
みすゞは、明治36(1903)年に、現在の長門市仙崎が仙崎村だった時に生まれ、27歳で薄幸の生涯を閉じた。大正末期から昭和初期にかけて、高く評価された。
仙崎村は、先に紹介した向岸寺のほど近くで、古くから捕鯨の漁村として、知られていた。
みすゞは、小鳥や、鳩や、カモメや、魚や、虫や、花を仲間とした。そのなかに、『鯨法會』という、胸を打たれる詩がある。
鯨法會は春のくれ、
海に飛魚採れるころ。
濱のお寺で鳴る鐘が、
ゆれて水面(みのも)をわたるとき、
村の漁夫(りょうし)が羽織着て、
濱のお寺へいそぐとき、
沖で鯨の子がひとり、
その鳴る鐘をききながら、
死んだ父さま、母さまを、
こひし、こひしと泣いてます。
海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまで、ひびくやら。
その光景を、想像してほしい。村の漁師たちが、沖から鷗の声にまじって、潮風が香るなかを、一張羅(ただ一枚の晴着)の羽織を着て、鯨法会へ急ぐのだ。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか 二章 鯨を供養する日本人の心性
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