トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 古代の洞窟壁画にみる精霊信仰の痕跡
外交評論家 加瀬英明 論集
人類が発祥して以来、世界のどこでも、あらゆる生きているものに霊が宿っているという、精霊信仰である多神教が信じられていた。
人間が、自然界に主人として君臨しているという考えかたも、同じように新しいものである。
フランスのスペインとの境となっているピレネー山脈のアリエージュ県に、二万年あまり前の石器時代の人々が壁画をのこしたレ・トロワ・フレール洞窟がある。
製作時は氷河期に当たるが、雄鹿を狩る人々の絵が描かれている。あるいは、人々の頭の部分が奇怪な鳥や、獣の形をしている。いや、あの時代の人々にとっては、奇怪ではけっしてなかった。
人が動物になったり、あるいは動物が人になったり、人と動物のあいだに、境がなかった。洞窟画では、人々が祈るように両手を、高くあげている。
これらの絵は、シャーマンを媒介して、神霊や、霊的な存在と交流するシャーマニズムが行なわれていたことを、証している。
1994年に、フランス南部のアルデシュ県において、ショーヴェ洞窟が発見された。およそ3万2000年前のものと推定され、ネアンデルタール人の手によったといわれる。私たちが知るかぎり、人によるもっとも古い絵画である。
シェーヴェ洞窟には、フクロウや、ハイエナや、豹などの260あまりの動物の絵がある。頭部だけが野牛で、人間の脚をしている絵もある。
フランス南西部のドルドーニュ県にある、ラスコー洞窟も有名だ。
1万5000年前の石器時代後期のクロマニョン人による絵であって、人をはじめ、数百点の野馬や、山羊、羊、野牛、カモシカ、熊、マンモスなどが、描かれている。
洞窟を進んでゆくと、陽光が届かない暗黒の深い地中のなかの広場に、たどりつく。当時の人々にとって神域であって、精霊と交流する祭が、行なわれていたにちがいない。
これらの洞窟壁画は、人が生物界の支配者ではなく、自然の一部として意識されていたことを、物語っている。自然が人に優越していたから、人々が動物を崇めた。
人が自分を生物界の一部にしかすぎないと信じたのは、ごく自然な心情だった。
ところが、時間がたつうちに、地域によっては、理知が感性に優ると考えるようになった。そのために、人が慢心して一神教が生まれ、自然界の支配者として、傲るようになった。
感性より理知を上に置くのは、私たち日本人になじまない。感性のほうが、理性よりも、心に近い。
シャーマンは人類の歴史で、もっとも古い神職者であるはずだ。私は洞窟壁画のシャーマンに、今日の神道の神職者や、仏教僧や、キリスト教の神父、牧師や、イスラム教の僧侶の姿を見る。
人々が、自然に霊的な力が満ちていると信じたから、シャーマンが動物を模した動きをしたり、動物の仮面をかぶり、獣皮をまとって、動物を装った。動物を模倣して、動物の超自然的な力を借りることによって、自然を操ろうと務めたのだった。
壁に顔料を用いて描かれた、あるいは石器を使って彫った動物の多くが、擬人化されている。半人半獣の絵も、多い。動物も、人の特性を分かち合っていた。
今日では、精霊信仰は擬人的な未開宗教だとみられているが、仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神も、善であり、慈悲深いといった人間の特性を備えているから、基本において変わらない。
私は南アフリカ共和国の大西洋側の隣国である、ナミビアを訪れたことがある。
ここには、原住民であるブッシュマンが生活している。岩のうえに、太古の時代のブッシュマンが描いたと信じられる、洞窟壁画に似た絵がのこっている。
人は、自然の力によって支配されていたから、シャーマンが雨乞いをしている絵がある。だから、人が自然に取り入って、自然の恵みを受けようとしたのだった。
岩絵を見ていると、いまでも人が、まったく受験勉強をしていないのに入学できるように祈ってみたり、万歩計を買って、日に3000歩も歩かないのに、健康を与えてくれるように、神仏に両手を合わせたりすることは、太古のブッシュマンが雨乞いをしたのを再演しているようなものだと思う。子どもが遠足の日が晴れるように、てるてる坊主をかけるのも、あるいは選挙の候補者と支援者が必勝祈願を行なうのも、同じことである。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか 二章 鯨を供養する日本人の心性
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