トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ インドが生んだ釈迦という人物
外交評論家 加瀬英明 論集
私はインドにボランティアとして、何回も通った。
仕事でも、インド国防省に招かれて、国防相をはじめとする軍の幹部に講演をしたり、東条英機大将と、東京裁判におけるインドのパル判事を主人公にした映画『プライド』(東映、1998年)のシナリオづくりのための取材や、ロケーションの撮影の立ち会うなどして、何度も往復した。
私ははじめてインドを訪れた時に、白昼に殴られたような、強い衝撃を受けた。
悲惨なまでに貧しい人々が、路上にあふれていた。物乞いのなかに、手や足を失った少年たちが珍しくないのを見せつけられて、しばし言葉を失った。
そのうえ、インド人の誰もが、このような痛ましい光景を見ても、まったく無関心であることも、理解できなかった。
インドの人々はこのような貧窮民を、何千年にもわたって見てきたことだろうと思った。
しかし、数回、訪れるうちに、私もそのような光景に、すっかり慣れてしまった。
ヒンズー教に、輪廻転生―前世の行ないによって、来世において生まれる場が決まる―という、教えがある。
私は、凄惨な貧しさを目の当たりにしても、自分たちとは関わりがなく、同情心が湧かないために、冷淡でいられるのはそのためだと、納得した。
輪廻転生は、バラモン教で「サンサーラ」というが、前世における善行や、悪業の報いによって、人間として、あるいは動物や草木や昆虫となって、生まれ変わるものである。同じ人間として転生したとしても、生まれ落ちる社会階層が異なる。
インドは、仏教が生まれた地だ。もっとも、今日ではインドの仏教は、消滅してしまっている。三世紀ごろまでは、寺院が栄華をきわめて、大きな権勢を振るったが、権力と結びついて、腐敗したために、衰退した。
世界の歴史では、神官や僧侶が巨富を積んで、権勢を誇った例が多い。きっと、原始時代のシャーマンのなかにも、その地位を用いて、私利をはかった者がいたにちがいない。
仏教の開祖となった釈迦は、紀元前五世紀に、古代インドのシャカ族の国王を父として、生まれた。釈迦は釈迦牟尼(しゃかむに)と呼ばれるが、釈迦はシャカ族を、ムニ(牟尼)はサンスクリット語の「聖者」を意味している。
釈迦は35歳ごろに、ブッタガヤの菩提樹のもとで、悟りをひらいた。そうすることによって、覚者(ブッダ)となった。
ブッダガヤは、インド北東部のビハール州を流れる、ナイランジャナー河のほとりにある。ブッダガヤの中心に、マハーボーディー(大菩提)寺がある。そのまわりに、諸国の仏教各派が建てた寺院があり、日本寺まである。
今日、ブッダガヤは、仏教徒の聖地となっている。いつも、チベットやスリランカ、タイの仏教僧が群がっている。それに加えて観光客や、土産品売りや、物乞いによって、賑わっている。
釈迦は、イエスがユダヤ教の国に生まれてキリスト教の開祖となったように、ヒンズー教のインドで生まれ、29歳で出家して、修行した。だが、釈迦も、イエスも、自分が新しい宗教の創始者になろうとも、なるとも、思わなかったはずである。
「覚者」を意味する「ブッダ」も、サンスクリット語であって、釈迦とか、その尊称である釈尊を意味したものではない。バラモン教のころから用いられていた。
ヒンズー教は、二章でも述べたとおり、聖典として『ヴェーダ』を、バラモン教から受け継いでいる。
『ヴェーダ』は、人が苦しむのは、利己心や、私欲や、他人に対する羨望や、妬みや、他人を貶めようとする心から発するものであって、人は私(わたくし)という檻である自我から解放されることによって幸せになると、説いている。
古代の『ヴェーダ』の賢人たちは、精神分析学の創始者といわれるフロイト(シグムント、1856年~1939年)よりも、はるか昔に、人の深層心理のなかに無意識が存在することを知っていた。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたか 三章 インドで考えさせられたこと
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