トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 新しい宗教をつくるつもりはなかった釈迦
外交評論家 加瀬英明 論集
私は釈迦が無神論者だったと、思う。釈迦は、自分が解脱を行なった最初の人だといっていない。
自分に宗教的な権威づけをすることが、なかった。自分を拝めといったこともないし、神仏を拝めとも、いっていない。拝む対象をつくりだすことがなかった。
釈迦は弟子から、宇宙がどのようにして生まれたのか、質問を受けた。
すると、釈迦は答えるのを、拒んだ。そして、「弟子たちよ。そのようなことをいくら案じてみても、ニルバーナに達するためには、まったく役にたたない。どうでもよいことだ。心の最高の喜びを得るのに、かかわりはない」と、諭した。
ニルバーナは、涅槃であるが、仏教で究極的な目的である心の永遠の平和を指す。執着の炎である煩悩を完全に消した状態を、意味する。
ニルバーナは、人の力でその境地に達しうるものだから、宗教的な神秘体験とはいえない。釈迦は死後に、自分が礼拝仏になるとは、思わなかったはずである。
あらゆる宗教は、世界がどのようにして生まれたかという、創生神話を持っている。釈迦は新しい宗教を開こうとしなかったから、この世界がどうして生まれたのか、説いていない。心のありかただけに、関心を向けた。
釈迦は「もし、神があったとしても、このように不幸や苦痛に満ちた世界をつくった神について学んで、何の益になるのか」と問うたうえで、「私はこのような苦しみを癒す法を、教えている」と、説いた。
釈迦は菩提樹のもとで悟りをひらいてから、入滅するまで45年にわたって、ガンジス平野を遊行して、衆生に法を教えた。
弟子たちは、人が瞑想することを封じて救済されるという、精神のヨーガを伝授していった。釈迦の教えがひろまると、やがて教団が生まれた。
釈迦も、弟子たちも、この教えを貧富貴賤の区別なく、ひろめた。それまでの宗教者が教えを、富者だけを対象として伝えたものを、改めたものだった。これは、革命だった。
釈迦も、イエスも、貧しい者や弱い者の味方だった。二人はそうすることによって、人類に新しい時代を開いた。
だが私は、もし釈尊やイエスが現れることがなかったとしても、仏教や、キリスト教と同じような新しい宗教が、あの時代に生まれたのではないかと思う。モハメッドも、貧しい者や孤児の味方だった。新しい宗教は、その時代の求めによって、生まれてくるものだろう。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたか 三章 インドで考えさせられたこと
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