トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ ハリジャンとともに暮らしたガンジー
外交評論家 加瀬英明 論集
インドには、今日でもヨーガを行なっている行者や、民衆から崇められている聖者が多い。
マハトマ・ガンジー翁(おう)(1869年~1948年)も、聖者だった。清貧と禁欲に徹して、理想に生きて行動した人だった。
「マハトマ」はチベットとインドで、「高貴な人」「聖者」を意味している。
ニューデリーの旧市街のデリーに、ガンジー翁がデリーにいなかった時を除いて、終生にわたって住んだ、ガンジー・アシュラム(修養所)がある。ガンジー財団が、経営している。
デリーは、人々や、自動車、スクーターによって、喧騒きわまりない。そのなかのオールド・デリーと呼ばれる一画に、アシュラムの広大な敷地がひろがっている。
ガンジー翁はこの敷地を、いつもハダシで歩いていた。
私はそう聞いて、はじめてアシュラムのなかを案内された時に、区っと靴下を脱ぎ、しばらく素足になって、乾いた地面のうえを歩いた。すると、ガンジー翁が身近に感じられた。
ガンジーはこのアシュラムで、ハリジャンと生活した。ハリジャンは、「神の子」を意味している。インドの古い社会習慣による身分制度である「カースト」では、数百以上の階級に分かれているが、ハリジャンは、その最下位に置かれている、不可触賤民である。
インドでは、ハリジャンは不浄とされてきた。ガンジーは、生まれ落ちた時から差別を蒙っているハリジャンの解放のためにも、戦った。
インド政府は、ハリジャンに対する差別を撤廃するために力を注いているが、ハリジャンに対する差別は、今日でも旧習として、社会に深い根を降ろしている。
アシュラムのなかには、ハリジャンの子どもたちのための学校や、親子がいっしょに宿泊する施設がある。中央に、ガンジーが毎朝、ハリジャンといっしょに祈った屋根のついた、かなり大きな祈祷所がある。円形の四阿(あずまや)である。
そこから数分歩いたところに、ガンジーが住んでいた、二階建てのコンクリートの家がある。
私はガンジー財団と、親しくしている。ここを訪れるたびに、ハリジャンの子どもたちを50人ほど祈祷所に集めて、歓迎してくれる。
子どもたちが、私を囲んで、目を輝かせて祈ってくれる。揃いの制服を着た少年少女が、ヒンズー教の祈祷文を大人の奏者の伝統楽器の演奏に合わせて、清らかな声で合唱してくれる。声明(しょうみょう)だ。
子どもたちが高く低く歌う澄んだ声が、デリーの晴れた空へ吸い込まれるように、昇ってゆくのを聴いているうちに、いつも心が洗われた。インドを訪れる楽しみのひとつだ。
そのたびに、子どもたちに短い話をするように乞われた。
私は「ガンディーラ(「ラ」はヒンズー語の敬称)は、私の国の日本でも、深く尊敬されています。ガンディーラは生涯を通じて、全世界の人々に手本を示しました。人に手本を示すというのは、素晴らしいことです。みなさんも、毎日、どんなに小さなことでもいいから、友だちに手本を示してください」と、挨拶した。
私は教室に案内されて、子どもたちにひとこと話してほしいと求められた。何をいおうか、とっさに思案した。
私は柏手(かしわで)を打ってみせてから、「日本では人々が集まると、全員でいっしょに、一回か、三回、両手をこうやって合わせて、パンパンと打ち鳴らします。そのあいだは、心を合わせて、何も考えてはなりません。手を合わせて鳴らしているあいだは、みんなが心を空にして、何も考えません。ヒンズーの瞑想(メディテーション)と、同じことですね」と、話した。
アシュラムの敷地のなかに、ガンジーが執務した小さな建物がある。
財団の事務所として、使われている。粗末な籐製の椅子に腰掛けると、「このあいだ、クリントン大統領が来た時に、その椅子に座りました。サッチャー首相も、そこに座りました」と、教えられた。
事務室のなかには、キリスト教の十字架、イスラムの聖画、仏像や、ジャイナ教、シーク教など、世界の宗教のさまざまな像や画が安置されていた。まるで、神々の団地のようだった。ガンジーはヒンズー教徒だったが、いつも世界のあらゆる神々に、祈りを捧げた。
そのなかに、神道の神棚がないことに、気がついた。私は、神社本庁で白木の神棚を購入して、つぎに訪れた時に寄贈した。
事務所には場所がないので、アシュラムの図書館の一隅に安置されることになった。財団の関係者を50人ほど招いて、ヒンズー教の祈りとともに、献納式を催してくれた。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたか 三章 インドで考えさせられたこと
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