トップページ ≫ 社会 ≫ 前文部科学次官の信念は偉大な祖父譲り PART1
社会
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加計学園の獣医学部新設問題で再び国会に出席する前川喜平・前文部科学事務次官の祖父が産業用冷凍庫の前川製作所の創業者だったという話を聞いて、私には思い当たるふしがあった。学生時代にひょんな縁で仏教サークルに入った私は、たいした活動はしなかったが、毎年の総会には出席していた。そこに年配の企業経営者が臨席していて、いつも熱弁をふるっていた。その方はサークルのOBではなかったが、仏教に深い理解があり、寄付も欠かさず、とてもありがたい人ということだった。頑固そうでもあったが、彼こそ前次官の祖父、前川喜作氏(故人)で、長男の昭一氏、つまり前次官の父はサークルのOBだったのだ。昭一氏は私より16年もの先輩で、直接の面識がなく、当時は総会にも出ていなかった。
サークルは毎年会報を発行しているが、数年前の号には、前川喜作氏が独自の教育理念で始めた学生寮「和敬塾」を取り上げた『教育の忘れもの』(上坂冬子・著 2006年 集英社刊)が紹介されていた。戦後の廃墟の中、渋谷の自宅の焼け跡に建てた「和敬精舎」で仏教の法話や座禅の会を開いていた喜作氏は、日本が再び間違った道に進まないためには、それまで欠けていた人間教育の必要性を痛感していた。次代を担う青年たちがナマの魂をぶつけ合って切磋琢磨し、人間として鍛え合う場所として学生寮創設の考えが生まれた。手掛かりとしてイギリスのケンブリッジやオックスフォードの大学生寮を徹底的に研究した。同時に小泉信三(慶応義塾塾長)や大濱信泉(早稲田大学総長)、安倍能成(学習院大学院長)ら、日本の教育界最高峰の各氏に相談したが、誰もが「素人が教育問題に首を突っ込んで成功するとは思えない」と否定的な意見だった。それでも自らの計画を推し進めたところにこの人の信念がうかがえる。
冷凍機製造の会社を経営していたが、もともと実家が奈良の裕福な山持ちだったから、東京目白台の細川侯爵邸跡地7000坪を買い取り、昭和30(1955)年に財団法人和敬塾を誕生させた。イギリス・チューダー様式の贅を尽くした旧細川邸は今も残り、本館として塾生の教養講座や講演会に使われている。喜作氏は和敬塾設立に当時の金で4億円を投じている。前川製作所からの出資はゼロで、まさに私財を投げ打っての事業だった。
(つづく)
http://www.qualitysaitama.com/newspost/42104
山田 洋
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