トップページ ≫ 社会 ≫ 前文部科学次官の信念は偉大な祖父譲り PART2
社会
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昭和30年代半ば過ぎ、世の学生運動の高まりもあって、塾生と喜作塾長の意見が対立した時には、長男の昭一氏、つまり前次官の父が塾長となり、話し合いを通じて双方が理解し合えた。塾生側の誤解もかなりあったようだ。
共同生活をとおした人間形成をめざした和敬塾は卒塾生5000人以上で、現在は国内外からの500人以上の大学生、大学院生が居住している。出身地は全国各地からまんべんなく集め、大学も国立、私立、有名校、無名校などバランスをとっていて、エリート偏重は避けている。共同生活になじめず途中で退寮する学生もいる。作家の村上春樹氏は費用の安さにひかれて入寮したが、数ヶ月で去って行った。でも『ノルウェイの森』などの作品に和敬塾らしき所を登場させているから、印象は強かったのだろう。やめる人は早い時期に出て行くが、生活が軌道に乗ってからやめる人はほとんどいないそうだ。私の友人にも和敬塾にいた人が何人かいるが、みんな当時を懐かしんでいる。
前川喜作氏は母校の早稲田大学に多大な寄付をしたほか、20億円の基金を提供して社会福祉事業を始め、心身障害者(児)のための施設への援助などを手掛けた。これだけの社会貢献をしたのに世間ではあまり知られていない。前掲書の著者、上坂氏も和敬塾は茶道研修の場かと思ったそうだ。創立者の喜作氏が「慈善のようなことは世間に隠れてそっとやるのが当然」という考えで、一切の叙勲や褒章を辞退したためだろう。塾生が彼の銅像を建てたいと申し出た時も一笑に付したが、塾生があきらめず、予算の倍の寄付金を集めるに至り、渋々OKしたという。
孫の前川喜平氏の国会答弁を聞いていると、強い信念を貫いた祖父の姿がオーバーラップしてくる。
山田 洋
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