トップページ ≫ 社会 ≫ 「原爆」を書いていた意外な人たち
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広島と長崎に原子爆弾が落とされてから72年が過ぎた。被爆体験者が年々少なくなるなか、唯一の被爆国である日本としては、原爆被害の実態の記録を残し、今後も世界に訴え続けなければならないだろう。
原爆投下の1年前に生まれた私は、小学生時代に原爆映画を見て、ショックのあまり以後は原爆とか核がらみのことには距離をおいてきた。しかし、2011年3月の東日本大震災にともなう福島第一原子力発電所の事故を契機に、原子力や核開発とかに無縁ではいられないと思うようになった。2年前には東松山市の「丸木美術館」を訪ね、丸木位里・俊夫妻が原爆投下直後の広島で見た惨状を描いた「原爆の図」を直視した。そして原爆について書かれた本を読んでみたくなった。
原爆については1983年に「日本の原爆文学」全15巻(ほるぷ出版)が刊行されたが、最近では集英社の創業85周年記念企画「戦争と文学」全20巻+別巻1の中に「ヒロシマ・ナガサキ」編(2011年6月刊)がある。中短編や詩歌からセレクトしていて、原民喜、大田洋子、林京子などによるよく知られたタイトルと並んで、意外な人の作品が目についた。
まずは歌手、俳優、演出家など幅広い活動を続けてきた美輪明宏。10歳の時に長崎市で被爆した。収録作「戦」(初出は1968年)ではその瞬間を《幾千万の雷が一時に落ちたよりも凄まじい音響で世界中が轟き揺れ動きました。》と表現している。すぐ兄弟たちと共に傾いた家を飛び出し、外に逃げたが、そこは地獄だった。
《何かに押しつぶされた男か女かもわからない人間が頭と手を差し出し、僕の手をつかんだのです。
「ギャー」
僕が夢中でその手を振り払ったら、その人の手や腕の肉が、ずるりと抜けて飛び、その肉の余りが、僕の手首についています。》
おなじみの女装で独得の存在感を保ち続ける美輪には、このような体験を含め、波乱の人生をくぐってきた凄さがある。
収録作にはやはり被爆した長崎を描いた川上宗薫の「残存者」がある。彼は1960年代末から官能小説で流行作家になり、1956年に書か
れたこの作品は原爆を扱った唯一の作品だと言われている。本人は学徒動員で任地にいたので被爆は免れたが、家は爆心地の松山町にあった。終戦で帰路につくが、列車から見た長崎の荒廃の描写から物語は始まる。大きな不安を抱いて駅から家に向かうと、中学生の頃によく顔を合わせた女学生と思える女性を見つける。彼女は被爆したようで、頭髪も薄くなり心にも深い傷を負っていた。道すがら二人の揺れ動く心理描写が続くが、虚無感漂う小説だ。
私は川上がガンで亡くなるまで、10年以上も縁があったが、原爆についての話は一度も聞いたことがなかった。長崎で教育者をしていた実弟と新宿で飲んだ時に部分的に聞いた記憶がある。母と妹二人は即死し、焼け跡から白骨化した姿で発見されたのだ。弟の妻が義父、つまり川上兄弟の父のことを書いた「牧師の涙」(2010年刊 長崎文献社)にはその辺のいきさつが生々しく描かれている。牧師をしていた父は、その衝撃でキリスト教から離れたという。
原爆については一切語らず、夜の銀座に繰り出して女性たちを口説き、家では自ら考案したピンポン野球に興じていた彼に、こんな悲しい過去があったことを知り、激しく胸を衝かれる。(文中敬称略)
山田洋
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