トップページ ≫ 社会 ≫ 埼玉の教育界を席巻するサトエパワー
社会
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夏の甲子園、全国高校野球選手権大会で埼玉県勢として初めて優勝に輝いた花咲徳栄高校は、埼玉栄高校や栄東高校などを擁する佐藤栄(さとえ)学園に属する。グループ各校はそれぞれの分野で大きな実績を上げており、その目標達成能力には舌を巻く。
佐藤栄学園の創立者で初代理事長の佐藤栄太郎氏(故人)は、父親が自動車関係の事業をしていた縁で、1958(昭和33)年に自動車整備学校を開校したのを皮切りに、1970年に学校法人佐藤栄学園を設立。2年後の2月に自動車科と保健体育科の埼玉栄高校設立が認可された。
以前は沼地だった大宮(現・さいたま市西区)指扇の地に開校したのだが、事前の県当局との打ち合わせでは「埼玉県ではサツマ芋は育つが、私学は育たない。やめた方が賢明だ」と言われたという。なにしろ、1963年から1971年まで県内に私立の新設校はゼロだったのだ。実際、予定していた生徒数に達せず、開校後は赤字が続いた。しかし、実績ある先生を集めるなどの努力の結果、次第に志願者も入学者も増えていった。
そして、1987年の全国高校駅伝で男子チームが初優勝をとげてからは脚光を浴びるようになり、1995~1997年には女子が駅伝3連覇を達成した。この女子チームの大森国男監督は私と高校の同期だったが、確か高校では陸上部員ではなかった。浦和の公立中学での女子長距離走の指導力が認められ、埼玉栄高にスカウトされたという。
その後、埼玉栄高校は各種運動競技で結果を出してきたが、近年では相撲部が注目を集めている。大相撲界にも次々と人材を送り込み、大関の豪栄道をはじめ、大栄翔、妙義龍などが同校出身だ。
花咲徳栄高校は1982年に加須市花崎に開校した。野球部は春も夏も甲子園の常連校になっていたが、ついに今夏、優勝旗を手にした。やはり以前から優れた監督をよそから招いたことがレベルアップにつながった。この高校はボクシング部も強く、県内では無敵、全国大会でも優勝、準優勝を重ねている。OBにはプロボクシングのスーパーフェザー級世界タイトルを長期間保持した強打の内山高志がいる。
いっぽう、1978年に大宮(現・さいたま市見沼区)砂町に開校した栄東高校は大学進学を重視した。年々、成果を上げ、昨年の大学入試では東京大学合格者が27人(現役合格者17人)に達し、毎年県内1位だった県立浦和高校の22人(同4人)を超えた。今年は浦和高校が1位に復帰したが、栄東高校は15名の合格者中14人が現役で、現役が13人の浦和高校を上回った。
能力ある指導者を招いて、運動部や学業成績のレベルを引き上げ、世間をあっと言わせる。そのようなパターンを何度も繰り返し、日本中が最も注目する夏の甲子園で、それが頂点に達したといえよう。この土台を作ったのが前掲の佐藤栄太郎・初代理事長だ。私の身内が佐藤栄学園のグループ校で学んだこともあって、佐藤氏とは2回会った。最初は20年近く前で、県の教育関係者が主体の会合だったが、そのような出席者の中では事業家然とした彼はちょっと異質だった。2回めは10年前で、ある依頼もあり、学園の本部で会った。長い時間をさき、彼もいろいろな話をしてくれた。強気一辺倒のイメージがあったが、私学経営の苦労を切々と語ったのは意外だった。
その佐藤氏と花咲徳栄高校の初代校長だった照子夫人、そして2代目理事長だった息子の孝司氏も今はこの世にいない。学園の喜びの輪の真ん中にいるべき人たちがいないのは、やはり切ない。
山田洋
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