社会
特に埼玉県、さいたま市の政治、経済などはじめ社会全般の出来事を迅速かつ分かりやすく提供。
空気、この実体なく掴み所のないものが今に至るまでどれほどこの国の重大事の決定過程を左右してきたであろうか。
この事実はあまり共有されていないと感じるが、空気という言葉が今のようにある一定の共通理解を持って使われるようになった発端は、山本七平氏著作の『空気の研究』(1977年)発表以後とされている。
既に没後26年の月日が経つ。
特に社会学分野においては、時の経過とともに当時絶対的権威とされた人ですら忘れ去られてしまうケースは数多い。
ところが氏はこの間、折に触れて様々な形で、その思想体系が都度繰り返し振り返られている。これは稀有なケースといえよう。
ごく簡潔に生い立ちについて触れさせていただく。
氏は東京三軒茶屋の地に3代に渡るキリスト教信者の家庭に生を受けた。
また大逆事件というセンセーショナルな事件に関わった親類をもつというその環境は、地域社会でさぞや異質なものとして見られていた事だろう。
またフィリピンでの従軍経験も持ち、同僚や部下を戦火に失うなど折り合いをつけ難い体験の数々、こうした事柄が持って生まれた性分と合わさって生涯に渡る思想の源流を形作っていったものと想像される。
繰り返すが、戦前の日本社会において圧倒的マイノリティー、キリスト教徒であった事実。
また合理とはかけ離れた統治によった従軍時代の様々な経験は、氏の著作に通底しているどこか冷めた第三者的怜悧な目を胚胎していったともいえよう。
著作『空気の研究』おいて氏は空気には水で対抗せよという。いわゆる水を差すの水である。
但しその水自体がすぐにまた新たな空気を醸成してしまうというのだ。実にやっかいな話である。
安易に処方箋を示さず、まずその成り立ち、構造を理解する事に重きをおく氏一流の独特の言い回しによる論立てで構成されている。
福沢諭吉の言葉にある『一身にして二生を経た』かのような氏の人生におけるどこか対象を突き放したかのような目線、と同時にその対象と
生涯深く関わり続けるという相矛盾した難事を自身のライフワークとした自負。
ある高名な社会学者は氏を浅学非才な人といった。無論浅学に重きはなく、物事の本質を見通す眼力を非才と評したまさに最高の誉め言葉であった。
複雑なものを単純にせず、出来る限りそのままの形で理解しようと努める事。
物事を正しく理解する為の時代を超えた普遍的アプローチがそこにある。
現代が忘れ去さりつつある静かなる矜持がそこに感じられる気がしてならない。
氏は生涯を一在野の研究者として全うされた。
現代社会の前線に立つ、またこれから立とうとする若い世代に著作を手に取って頂きたいと思う。
振り返るべき、まぎれもない先人の一人である。
小松 隆
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