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コラム …男の珈琲タイム
珈琲がクセになった。以前は一日一杯程度だったが、今では三杯を超している。三杯飲みほしていくうちに私の思考も秋とともに深まる。今日は百合の花、というより百合を考えている。学生時代、バルザックの「谷間の百合」を読んだ記憶がある。しかし、当時の私はあまり感動はしなかった。何となく悲恋はこんなものかの程度だった。私の貧しい文学的素養のせいだ。今、百合といえば小池の百合だ。夏に咲く花だ。確かに夏は咲いた。しかし、希望にみちて花を咲かせたが、咲き誇ったのがいけなかった。おごればあとは枯れるばかりだ。いけないことに、言うことが二転三転してしまうのだ。もっとも百合は花弁が三枚あるから仕方ないのかもしれないが。ただ、そのたびに信用をおとしてしまっている。希望から失望になっていく。最後は絶望になってしまったら哀れだ。おごれるもの久しからず、ただ春の夜の夢の如しとは平凡だが、その通りだ。官能の花、百合に自制と自粛を求め過ぎるのがいけないのかもしれない。官能はあくまで性的感覚であって、現実を積み重ねて一つの理想へ到達させるものではないのだから。
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