トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 嘆きの壁″の前で考えたこと
外交評論家 加瀬英明 論集
イスラエルを訪れ、はじめて丘の上に立つエルサレムを望んだ時は、心が弾んだ。
私は「人々が『さあ、主の家に行こう』と言った時に、私は喜んだ。エルサレムよ」という聖書の一節を、胸の中で呟いた。
エルサレムの〝嘆きの壁″を訪れた時に、私はソロモン王が、主(と、ユダヤ・キリスト教徒が神を呼ぶ)のために、「荘厳な神殿」を造営したことを思った。
この神殿は、紀元前597年にバビロニアによって、破壊された。その後、再建されたが、紀元前70年にローマ帝国によって、また破壊された。
かつて神殿があった石壁の一部が、今でも残っていて、ユダヤ・キリスト教徒によって〝嘆きの壁″と呼ばれている。
〝嘆きの壁″には、この地方に独特な石が用いられている。3000年も前のソロモン王時代に、切りだされたものである。
神殿が完成すると、主が降臨され、嘉納された。
旧約聖書は、人々が「天から火が降って焼きつくす献げ物ささげものといけにえをひとなめにし、主の栄光が神殿に満ちた。祭司たちは、主の栄光が神殿に満ちたので、神殿に入ることが出来なかった」(「歴代誌下」7-1、2)と、述べている。
ソロモン王が、主なる神に「荘厳な神殿を/いつの世もとどまっていただける聖所を/私はあなたのために建てました」(「列王記上」8-13)と、言上した。主が「地上においてお住まいになる」(同8-27)ために、造ったのだった。
神はソロモン王に対して、ユダヤ人の始祖であるアブラハムにそうしたように、しばしば姿をあらわして、会話を交わしている。神が、擬人化されている。
この神殿が完成して、主なる神に奉納した時に、「大会衆と共に、わたしたちの神、主の御前で祭りを執り行った。それは7日間、更に7日間、あわせて14日にわたった」(「列王記上」8-65)「奉げものとして牛二万二千頭、羊十二万ひきを主にささげた。」(同、54-63)のだった。
ソロモン王は主に、「天も、天の天も、あなたをお納めすることができません。私が建てたこの神殿など、なおふさわしくありません」(同8-27)と、言上している。主が一時的にせよ、この神殿に住んだのは、聖書では事実だとされている。
神殿はイスラエルの民が堕落したために、破壊された。ユダヤ人たちは、バビロンの捕囚となっても、「神の家」があるエルサレムを称え続けた。
聖書にエルサレムンに憧れる詩がある。
「エルサレムよ、もしも、私がお前を忘れるなら、私の右手はなえるがよい。私の舌は上顎に貼り付くがよい」(「詩編」137-5、6)
『ミドラシュ』は、聖書の注訳書として、紀元前六世紀から一七世紀にかけて編纂され、「調べる」という意味である。
このなかで、「人の体の中心に臍があるように、聖書(「エゼキエル書」)に、イスラエルの民が『世界の臍に住んでいる』と書かれている通りに、イスラエルの地が世界の中心になっており、神殿がその中心である」と、述べている。
いまでは、神殿の壁の一部しか残っていないが、今日でも、全世界のユダヤ教徒のあつい信仰の対象となっている。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたか 五章 エルサレムで考えたこと
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