トップページ ≫ 社会 ≫ 浅草を愛した2人の好色一代(その1)
社会
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今や東京の観光名所になった浅草を正月に訪ねたら、たいへんな人込みだった。外人観光客も多く、中国系、欧米系に加えてイスラム系の人も見かけた。町を歩き、私の記憶の中にある昭和の浅草を思い浮かべながら、終戦直後から浅草そしてすぐ裏にある吉原(今の台東区千束)をこよなく愛し、深くかかわり続けた2人の先輩を追想していた。ともに10余年前に亡くなった吉村平吉さん(1920~2005)と広岡敬一さん(1921~2004)である。ご両人ともほとんど同じ時代に生き、色街を活動舞台にして、それを記録に残した。
吉村さんは赤坂の書画骨董商の家に生まれた。父親が遊蕩三昧の人で、中学生の彼を神楽坂の芸者置屋や吉原遊郭に連れて行ったという。そういう世界の妖しい魅惑を感じつつも、浅草六区興行街の楽しさのほうが心を強くとらえた。旧制中学を何とか卒業すると、当時人気絶頂だった喜劇役者の榎本健一が率いるエノケン一座に文芸部見習いとして入れてもらう。早稲田大学の専門部に入学してからも文芸部の仕事は続けた。
文芸部の先輩に誘われて吉原にも出向いたが、純情青年の彼は貞操を守り通した。昭和17(1942)年に徴兵され、中国各地を転戦している間、女郎買いせずに死んでしまうのかと、少し残念に思ったという。生きて終戦を迎え、東京に帰ってくるや、人が変わったように吉原をはじめ各所で遊びまくり、ついには売春社会の周辺で生活するようになった。
吉原遊郭は昭和20年3月10日の東京大空襲で消失し、戦後は進駐軍の命令で公娼制度が廃止された。しかし、焼け残った3軒の鉄筋コンクリート造りの妓楼が営業再開してからは焼け跡に売春施設が続々建てられていった。このような元遊郭だった区域は赤線地帯と呼ばれ、売春行為は黙認されたのだ。吉村さんはここでポン引き稼業を始める。
彼の著書、『吉原酔狂ぐらし』(1990年 三一書房)や『浅草のみだおれ』(1977年 同)では、赤線地帯で働く女性たちやポン引きたちを愛着をこめて描写している。戦前の遊郭では牛太郎(妓夫太郎)という番頭がいて客の呼び込みをしていた。年季と腕によって何段階かの身分があり、上位の牛太郎は当時の大学教授の給料の倍も稼いでいたという。戦後、遊郭制度が崩壊すると、牛太郎という職も消滅するが、彼らは昔の経験と人脈を生かして赤線地帯にて独得のポン引き社会を形成する。吉村さんもそうした元牛太郎たちに興味を持ったのだ。道楽に道楽を重ねた人たちが多く、身から灰汁が抜け、粋で洒脱だが、誰もが額に汗して働くのは苦手だった。
売春防止法の施行により、昭和33年3月31日に赤線の火は消えた。この法律施行後のポン引きの逮捕第1号となったのが吉村さんで、最高裁までの法廷闘争もむなしく実刑判決で4か月の刑務所暮らし。10年近いポン引き生活にも終止符を打った。
私は吉村さんの晩年に、彼を中心にした雑誌編集者の会に入ったが、ご当人も洒脱で穏やかな人だった。人を楽しませるのが好きと見えて、遊郭での幇間(たいこもち)芸を再現する会などを開いてくれた。ある時は、趣向の変わった女性ヌードショーの店に案内してくれた。ほとんど全員が男性の参加者たちには大好評だったが、その後、店に警察の手入れがあり、閉店に追い込まれた。
人柄とユニークなキャリアで作家や芸能人にも愛され、野坂昭如、田中小実昌、吉行淳之介、殿山泰司等の各氏とは縁が深かった。野坂さんは直木賞受賞直後に作家や編集者を集めて「酔狂連」なる道楽グループを結成し、江戸の粋狂人を気取った稽古ごとや遊びに熱中していた。この酔狂連で選挙をやろうという話が持ち上がり、世話人みたいな役割だった吉村さんがかつぎ出され、昭和46(1971)年の台東区議選に立候補する破目になった。桜井順さんの作詞・作曲の選挙ソング、黒田征太郎さんが描いた選挙ポスターもでき、応援者も酔狂連以外の豪華メンバーが加わり、どこでも選挙カーには人だかりができた。でも、「候補者の名が最も影が薄かった」(本人談)ため、得票277の惨敗だった。
3年後、野坂さんの参議院東京地方区立候補では統括責任者を仰せつかり、次点の惜敗ながら野坂候補の真剣な戦いぶりに選挙熱が再燃し、以後3回も区議選に立候補した。最後の選挙では有名ストリッパー浅草駒太夫にも文字通り一肌脱いでもらったが、当選には至らず4連敗。「世の中一般の堅気の人たちと無頼不逞の人間との間には、やはり乗り越えられない壁があるらしい」と思い知らされたという。 (その2)につづく
山田洋
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