社会
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1997年11月、約2600億円の債務隠しが発覚して、4大証券の一角、山一證券は自主廃業に追い込まれた。当時の野澤正平社長の号泣記者会見もあり、日本経済史での大事件は今も人々の記憶に残っている。
読売新聞の辣腕記者だったノンフィクション作家、清武英利氏は4年前に著書『しんがり 山一證券最後の12人』(講談社)で、破綻後も会社に踏みとどまり、真相解明と精算業務を続けた裏方の社員たちの奮闘を描いて、多くの読者の共感を得た。清武氏は近刊の『空あかり 山一證券〝しんがり〟百人の言葉』では、元社員100人に取材し、20年間の彼らの歩みを切々と描いている。
私も1年足らずだが、この会社に在籍したことがある。先日、入社後50年が過ぎたということで、同期入社の会が開かれた。大学卒の同期は36人、今回の出席者は12人。常務取締役になった3人も出席していたこともあり、破綻時の生々しい話は封印されたが、その地位になると自社株をかなり所有しなければならず、それが紙屑となったことには同情が集まっていた。彼らの名前は清武氏が槍玉に上げる戦犯リストにはない。
元社員としてはもう少し調べたくなって山一関連の書物を漁っていたら、経営破綻からちょうど1年後に刊行された『山一證券の百年』(1998年)という社史があった。より客観的な記述をするために執筆は毎日新聞論説委員だった大学教授に依頼した。そして『しんがり』メンバーによる社内調査委員会やその後の社外委員による「法的責任判定委員会」の調査報告を巻末に掲載している。社の負の側面まで記述したユニークな社史となっている。
そしてもう1冊、山一證券OBで経済小説を多く手がけた水沢溪氏(故人)の『小説 山一証券』(1998年 健友館)が目にとまった。山一破綻を小説という形にしているが、登場人物のモデルが誰かはすぐ類推できるようになっている。主人公は山一の株式部次長だが、このモデルになった人は私の株式投資の師匠である。株価の足取りを記録したチャートの分析から相場の先行きを読む名人だ。株価下落のサインが出たら、持ち株の売りや信用取引のカラ売りを奨めた。こういう手法は「買い」一辺倒の大証券株式部ではアウトサイダーだ。社内で屈指の相場理論を持ちながら、万年次長でついには関連会社に追い払われてしまう。
かつては毎週株式投資講座を開いていたが、90歳も近くなり、寒い期間は休講だ。春になってまた相場観を聞きたいが、その時は無能な旧・山一経営者たちへの「渇ッ!」も飛び出すに違いない。
山田 洋
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