社会
特に埼玉県、さいたま市の政治、経済などはじめ社会全般の出来事を迅速かつ分かりやすく提供。
先日の新聞読書欄に「早世した鬼才漫画家の土田世紀は……」という一文があってびっくりした。漫画雑誌編集部に在籍していたこともあって、漫画家の動静には注意を払ってきたつもりだが、土田氏の逝去については全く知らなかったからだ。2012年4月に肝硬変で滋賀県の栗東(りっとう)市の自宅で亡くなったそうだが、まだ43歳だった。20代の頃から酒びたりだったと言われている。
出身は秋田県で、地元の高校に入ってから漫画を描き始め、1986年、『残暑』で講談社のちばてつや賞一般部門で入選。代表作は『俺節』、『編集王』、『ギラギラ』、『同じ月を見ている』などで、いずれもテレビドラマや映画、舞台劇となっている。宮沢賢治の作品を好み、『同じ月を見ている』の主人公のモデルは賢治で、1999年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞している。
本人が「泥臭い」と自嘲するように、作風はしばしば時代錯誤的であったり「反トレンド」だとされた。ストーリーが時代を逆行するような展開を見せても、読者はそこにあふれる感情に快いカタルシスを感じたのだ。
私と縁があったのは代表作とは言えないかもしれないが、人気作だった競馬漫画だ。当時、競馬界のスターだった田原成貴騎手が原作を手掛け、土田氏が作画した『競馬狂走伝ありゃ馬こりゃ馬』は、最初は週刊ヤングマガジンの増刊に読み切りで掲載されたが、本誌に移って長期連載され、単行本は全17巻、計200万部の売り上げとなった。本人も競馬狂だった当時の編集長は「2人のセイキが描く画期的競馬漫画!」と煽っていたが、レース中の騎手同士の駆け引きや遣り取りがリアルに描写され、競馬の面白さがふんだんに盛り込まれていた。
田原騎手は土田氏より10歳上の1959年生まれ。1983年と1984年にはJRA(日本中央競馬会)年間最多勝利騎手となり、卓越した騎乗技術と端正な容姿で「天才」、「競馬界の玉三郎」ともてはやされ、若き日の武豊騎手も彼に憧れたという。漫画雑誌合同の忘年会にはモデル出身という夫人を連れて颯爽と登場した。
しかし、度重なる落馬による怪我もあって1999年より調教師になった。そして2001年、信じられない事件が起こった。羽田空港で彼は機内にナイフを持ち込もうとしたとして身柄を拘束され、警察の身体検査で覚醒剤の所持が発覚したのだ。釈放後、彼がヤングマガジンの編集室に来たのをたまたま目撃した。いかにも人目をはばかるという身なりや動作をしていた。自ら落ち目を演出しているかのようで、おかしいやら悲しいやら複雑な気持ちになった。2009年には大麻取締法違反容疑で再逮捕され、この年には傷害容疑でも逮捕された。
それから数年後、いつも元気で夜の街に繰り出していた元・編集長が体調不良を訴えるようになり、入院後間もなく急逝した。『ありゃ馬こりゃ馬』関係者の相次ぐ不幸も若い土田氏には及ぶまいと思っていたが、アルコールが体をむしばんでいたのだ。土田氏が亡くなった自宅が、競馬にゆかりがあり『ありゃ馬こりゃ馬』の舞台ともなった栗東市だったのも感慨深い。
山田 洋
バックナンバー
新着ニュース
- エルメスの跡地はグッチ(2024年11月20日)
- 第31回さいたま太鼓エキスパート2024(2024年11月03日)
- 突然の閉店に驚きの声 スイートバジル(2024年11月19日)
- すぐに遂落した玉木さんの質(2024年11月14日)
特別企画PR